Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
僕は、ショウ。気が付くと、そこは見慣れない白い部屋だった。いや、見慣れないのは当たり前か。だって、僕は死後の世界にいるんだから。
息をしていない。心臓も動いていない。それなのに、意識だけが鮮明にある。…ああ、これが死か。意外とあっけないものだな、なんて冷静に思っていた。
生前、僕はプログラマーだった。朝から晩までコードを書き続け、気づけばベッドの上で息絶えていた。過労死だろうか?いや、そんなドラマチックなものではないはずだ。だって、死因なんてどうでもいい。
優しい声に呼ばれて、僕はゆっくりと顔を上げた。目の前に立っていたのは、白衣を着た女性。柔らかい笑顔を浮かべている。
「ここは『療養所』です。あなたは死後の世界に辿り着いたばかり。まずは、ここでゆっくり休んでください。」
療養所…か。死んだ人間が休む場所なんて、皮肉なものだな。どうせまた、苦痛を紛らわすための場所だろう。
それからというもの、僕は療養所の個室に引きこもった。窓の外には、見たこともない花々が咲き乱れている庭が見える。けれど、僕は一歩も外に出ようとはしなかった。
誰とも話さなかった。食事もろくに取らなかった。ただ、ぼんやりと天井を見つめて、時間だけが過ぎていくのを待っていた。
療養所の生活は、生きているときとさほど変わらなかった。ただ、一つだけ違うのは、死にたくても死ねないということ。
生きているときは、辛いことがあれば死んでしまえば楽になると思っていた。でも、死後の世界には死後の世界なりの苦しみがある。それを知って、僕はさらに心を閉ざした。
そんなある日、ノックの音がした。無視しようと思ったけれど、諦めずに何度もノックが続く。
(なんだか不思議な感じがする。扉の向こうの女性(ひと)から、太陽のような暖かさが伝わってくるんだ。)
渋々ドアを開けると、そこに立っていたのは、太陽のような笑顔を浮かべた女性だった。どこか懐かしい雰囲気を持っている。
「初めまして、ショウさん。私は成香と言います。ここで、あなたの心のケアを担当することになりました。」
「心のケア…ですか。僕はもう、何も感じません。放っておいてください。」
「そう言わずに、少しだけお話しませんか?コーヒーでも淹れてきましたよ。」
成香さんの笑顔に抗えずに、僕は彼女を部屋に招き入れた。コーヒーの香りが、久しぶりに僕の心を癒やしてくれる。
「ショウさん、あなたはなぜ、ここにいるんですか?」
「ええ、そうですね。でも、死んだ原因は何ですか?」
「どうでもよくないと思います。自分の死因を知ることは、あなたが前に進むための第一歩になるはずです。」
僕は黙り込んだ。自分の死因を思い出すことなんて、考えたくもなかった。
「無理強いはしません。でも、もしあなたが辛くなったらいつでも私を頼ってください。私はいつもあなたのそばにいます。」
それから毎日、成香さんは僕の部屋にやってきた。他愛もない話をしたり、庭の花の名前を教えてくれたり、時には黙って僕のそばに寄り添ってくれたり。
成香さんと過ごすうちに、少しずつ、僕は心を খোলাいていくようになった。閉ざしていた心の奥底に、光が差し込んでくるような気がした。
ある日、僕は意を決して成香さんに話した。「僕は…死んだ時のことを、思い出せないんです。覚えていないんです。」
成香さんは静かに言った。「それは、あなたがまだ自分の死を受容できていないからかもしれません。」
受容…か。そうだ、僕はまだ、自分が死んだということを、心から受容できていないんだ。
僕は長い間、過去から目を背けてきた。 死因を、死んだ時のことを思い出さずに生きてきた。それはただ辛いから。
「ショウさん、あなたは一人ではありません。私がそばにいます。一緒に、あなたの過去と向き合いませんか?」
成香さんの言葉に励まされ、僕は少しずつ、過去の記憶をたどっていくことにした。
そして、ついに僕は思い出した。僕は…息子を残したまま、焼身自殺をしたんだ。
息子の顔が目に浮かぶ。小さくて、可愛かったあの子…。
後悔の念が、僕の心を締め付ける。僕は、許されないことをしてしまった。償いきれない罪を犯してしまったんだ。
成香さんが僕を抱きしめた。温かい涙が、僕の頬を伝う。
「あなたは悪くない。あなたは、苦しかっただけなんです。」
僕は泣き崩れた。これまで抑え込んできた感情が、一気に溢れ出す。
泣き続けて、泣き続けて、ようやく僕は少しだけ楽になった気がした。
「ありがとう、成香さん。あなたのおかげで、僕は自分の過去と向き合うことができました。」
「いいえ、当然のことをしたまでです。あなたがこれから、幸せになることを願っています。」
それから、僕は療養所の庭に出るようになった。色とりどりの花を眺めたり、鳥のさえずりに耳を傾けたり。生前には見向きもしなかった自然の美しさに、ようやく気づくことができた。
成香さんと一緒に、療養所の人たちの話を聞いたり、手伝いをしたりもした。僕は、少しずつ、自分の居場所を見つけていった。
そして、ある日、僕は成香さんに告げた。「僕は、この療養所を出て、新しい世界に行こうと思います。」
「そうですか。それは素晴らしいですね。どこへ行くんですか?」
「まだ決めていません。でも、どこへ行っても、きっと大丈夫だと思います。だって、僕はもう一人じゃないから。」
僕は、成香さんと握手を交わした。温かい手が、僕の背中を押してくれる。
「さようなら、成香さん。あなたに会えて、本当に良かった。」
「さようなら、ショウさん。あなたの幸せを、心から願っています。」
僕は療養所を後にした。新しい世界への希望を胸に抱いて。
(きっと、どこへ行っても、僕は幸せになれる。だって、僕はもう一人じゃないから。)
しかし、現実は甘くなかった。 新しい世界、それは死後の世界の中でもさらに異質な場所だった。孤独が再び僕を包み込む。
ある静かな夜、僕はベンチに座り、星空を見上げていた。すると突然、心臓が締め付けられるような痛みを感じた。
現世に残してきた息子の姿が目に浮かんだ。 あいつも、僕と同じように苦しんでいるんじゃないだろうか?僕と同じように、死を考えているんじゃないだろうか?
息子は大人になっていたが、あの日と同じ寂しげな目をしていた。そして、今にも線路に飛び込もうとしていた。
僕は全力で叫んだ。 死後の世界から、必死に、息子の名前を叫んだ。
「死ぬな! 生きてくれ! お前の人生は、まだ始まったばかりだ!」
僕の声が、息子に届いたかどうかはわからない。けれど、息子は立ち止まり、顔を上げた。その目には、涙が溢れていた。
息子は、僕の声が聞こえたのだろうか。それとも、ただの偶然だろうか。 どちらにしても、僕は息子を救うことができた。
それから、僕は息子が生きている限り、息子のそばで見守り続けることを決めた。僕は、父親として、償いを続けなければならない。
遠い場所で、息子が泣き崩れているだろう。 だが、もう一人ではない。そばにいるから