Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
目を覚ますと、そこは白い壁に囲まれた部屋だった。無機質な空気、静寂。僕は、死後の世界にいた。
EPR97809、それが僕のコードネーム。便宜上、『ショウ』と名乗ることにした。生前の記憶は曖昧模糊としているが、自分が死んだことだけは理解できた。しかし、転生は起こらず、僕は『療養所』と呼ばれる場所に送られた。
療養所は、生前の世界とほとんど変わらない場所だった。病院のような建物が立ち並び、人々は静かに、あるいは騒がしく、それぞれの時間を過ごしている。
療養所のスタッフは親切だった。食事は美味しく、娯楽施設も充実していた。だが、僕の心は閉ざされたままだった。生きているときから抱えていた孤独感が、死後の世界でも僕を蝕んでいたのだ。
部屋に引きこもって8年が過ぎた。毎日毎日、天井を見つめていた。死後の世界には、死後の世界の苦しみがある。それは、死にたくても死ねないという残酷な事実だった。
「ショウさん、いらっしゃいますか? 私、成香(なるか)と申します。少しお話、よろしいでしょうか?」
無視しようと思った。誰とも話したくなかった。しかし、成香さんの声は優しく、どこか温かかった。
ドアを開けると、そこに立っていたのは、柔らかな笑顔をたたえた女性だった。彼女の目は、どこか悲しげだったが、強い光を宿していた。
「あの…ずっと気になっていたんです。8年間、一度も部屋から出ていらっしゃらないと聞いて」
「…もしよければ、少しだけお話しませんか? コーヒーでも淹れますよ」
気がつけば、僕は彼女に促されるまま、部屋を出ていた。8年ぶりの外の世界は、少し眩しかった。
療養所のカフェは賑わっていた。人々は談笑したり、本を読んだり、それぞれの時間を楽しんでいる。そんな光景を、僕はどこか他人事のように眺めていた。
成香さんは、優しく微笑みながらコーヒーを淹れてくれた。その手つきは慣れていて、どこか安心感があった。
「私は…交通事故で死にました。死因はトラックの運転手の居眠り運転です。くだらないでしょう?」彼女は自嘲気味に笑った。「でも、こうして誰かと話せる時間があるだけでも、救われるんです」
それから、僕たちは少しずつ話をするようになった。成香さんは、僕の過去を詮索しなかった。ただ、静かに、僕の話に耳を傾けてくれた。
彼女は、僕が抱える孤独、そして死への恐怖を理解してくれた。彼女もまた、同じような苦しみを抱えていたのだ。
「ショウさん、あなたは、自分が死んだことを受容できていないんですね」
「ええ。あなたは、まだ生きていたかった。やり残したことがたくさんあった。だから、自分が死んだことを受け入れられないんです。それが、あなたの苦しみの根源だと思います」
彼女の言葉は、僕の心を深く突き刺した。確かに、僕は、自分が死んだことを受け入れられなかった。後悔と未練が、僕の心を縛り付けていた。
「もしよければ、このノートに、あなたの気持ちを書き出してみてください。誰に見せる必要もありません。ただ、あなたの心を整理するために」
僕は、ノートを受け取った。そして、その日から、少しずつ、自分の過去を振り返り始めた。
ノートには、子供の頃の思い出、学生時代の夢、そして、社会人になってからの挫折や喜びが綴られていた。
そして、ある日のこと、ノートに、自分が死んだ原因が書かれていることに気がついた。
記憶が蘇ってきた。仕事でのプレッシャー、人間関係のストレス、そして、経済的な苦しみ。全てが重なり、僕は、絶望の淵に立っていたのだ。
僕は、自分が死んだ原因を思い出し、愕然とした。息子を残して、自ら命を絶ったという事実に、打ちのめされた。
僕は、自分の愚かさを呪った。なぜ、もっと早く誰かに相談しなかったのか。なぜ、息子を置いて死んでしまったのか。
「ショウさん、どうしましたか? 顔色が悪いですよ」
僕は、ノートを彼女に見せた。彼女は、静かに、僕の話に耳を傾けてくれた。
「そんなことありません。あなたは、苦しんでいた。そして、そこから逃れるために、必死だったんです。息子さんは、きっと、あなたの気持ちを理解してくれます」
彼女の言葉に、僕は救われた気がした。僕は、過去の過ちを償うために、生きなければならない。
僕は、療養所での生活を改め始めた。他の人々と積極的に交流し、自分の経験を話すようになった。そして、少しずつ、自分の死を受け入れ始めた。
ある日、療養所のスタッフから、現実世界にいる息子の近況を伝えられた。彼は、立派な大人に成長し、社会で活躍しているという。
そのことを聞いた時、僕は、心から安堵した。息子は、僕の死を乗り越え、自分の人生を歩んでいるのだ。
しかし、同時に、新たな不安が生まれた。息子は、僕のことをどう思っているのだろうか。僕の死を、許してくれるのだろうか。
そんなある日、療養所に、現実世界から来た男が現れた。その男は、息子の友人だという。
彼は、僕に、息子の手紙を渡してくれた。手紙には、こう書かれていた。
『お父さん、僕は、あなたが死んだことを、まだ完全に理解できません。でも、あなたの苦しみは、少しだけ理解できます。あなたは、必死だった。そして、僕のことを愛してくれていた。僕は、あなたを許します。そして、あなたの分まで、精一杯生きていきます』
手紙を読み終えた時、僕は、涙が止まらなかった。息子は、僕のことを許してくれた。僕は、ようやく、心の底から安らぐことができた。
それから、僕は、療養所での生活を終え、次の段階に進むことになった。それは、新たな生なのか、あるいは、別の場所なのか、僕にはまだわからない。
しかし、僕は、もう孤独ではない。僕には、成香さんという友がおり、そして、息子がいる。僕は、彼らと共に、未来を歩んでいく。
数年後、成香は、療養所を去るショウを見送っていた。
「ショウさん、行ってらっしゃい。あなたは、きっと、幸せになれます」
「ありがとう、成香さん。あなたに出会えて、本当によかった。あなたも、きっと幸せになってください」
二人は、固く抱き合った。そして、ショウは、新たな世界へと旅立っていった。
ショウの息子は、社会人として充実した日々を送っていた。しかし、心の奥底には、常に父への想いがあった。
彼は、父が自殺した場所を訪れ、手を合わせた。「お父さん、僕は、あなたの分まで、精一杯生きています」
しかし、その時、彼は、ふと、ある考えにとらわれた。(もしかしたら、父さんの気持ちがわかるかもしれない。僕も、父さんの後を追いたい…)
それは、死後の世界から、ショウの声だった。ショウは、息子の異変に気づき、必死に叫んだのだ。
「死ぬな!!!!生きてくれ!!!!お前には、未来がある!!!!僕は、お前に生きていてほしい!!!!」
息子の心に、父の声が響き渡った。彼は、涙を流し、自殺を思いとどまった。彼は、父の想いを胸に、生きることを決意した。
息子は天を仰ぎ、「ありがとう、お父さん」と呟いた。彼は、父の分まで、精一杯生きていくことを誓ったのだった。
そして、死後の世界で、ショウは、静かに微笑んだ。彼は、息子の成長を、これからも見守り続けるだろう。