奈落の底のアイドル

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

雨がしとしとと降り続く夜だった。古びたアパートの一室で、明里はぼんやりと天井を見つめていた。妹の結衣が亡くなってから、彼女の世界は色を失ってしまった。あの日の光景が、まるで悪夢のように脳裏に焼き付いている。
「…結衣…」
絞り出すような声で妹の名前を呼ぶ。返事はない。あるのは、冷たい静寂だけだった。結衣は、いじめが原因で自ら命を絶ったのだ。首を吊った妹の姿を発見したのは、明里だった。
明里は拳を強く握りしめた。怒りと悲しみ、そして深い絶望が胸の中で渦巻いていた。犯人たちへの復讐…その想いが、明里の心を蝕んでいく。
結衣を追い詰めた連中を、同じ目に遭わせてやりたい。そんな衝動が、彼女を突き動かしていた。しかし、どのように復讐すればいいのか。具体案は何も浮かんでこなかった。
ある日、インターネットを彷徨っていると、闇の動画投稿チャンネルに関する書き込みが目に留まった。「見たら確実に鬱になる」「見た者は皆、首を吊って帰ってこない」という、恐ろしい噂が広まっているチャンネルだった。
そのチャンネルの名は、『奈落テレビ』。視聴者を精神的に追い詰め、破滅へと導くような動画ばかりを投稿しているらしい。まるで神が運営しているかのような、おぞましいチャンネルだった。
明里の心臓が高鳴った。ここなら…ここなら、自分の復讐を果たせるかもしれない。彼女は藁にもすがる思いで、奈落テレビの従業員募集を探し始めた。
数日後、明里は奈落テレビの採用面接を受けていた。面接官は、薄気味悪い笑みを浮かべた男だった。男は明里をじっと見つめ、低い声で言った。
「君のような若い女の子が、なぜこんな場所に?」
「…私は、人を不幸にする力が必要なんです」明里は迷うことなく答えた。復讐のためなら、どんなことでもする覚悟だった。
男はしばらくの間、明里の目を見つめていた。そして、満足そうに頷いた。「いいだろう。君をアイドルとして採用する」
予想外の言葉に、明里は戸惑った。「アイドル…ですか?」
「ああ。だが、普通のアイドルではない。闇のアイドルだ。視聴者の心を弄び、絶望の淵に突き落とす…それが君の仕事だ」
明里は覚悟を決めた。「…承知いたしました」
こうして、明里は奈落テレビ闇のアイドル、『闇のお姉さん』としてデビューすることになった。
最初の頃は、罪悪感に苛まれた。だが、復讐の念が、それを押し殺した。結衣のためなら、どんな犠牲も厭わない。彼女は徐々に、サイコパスとしての才能を開花させていった。
動画の中で、明里は可愛らしい笑顔を振りまきながら、残酷な言葉を囁いた。視聴者の悩みや苦しみに寄り添うふりをしながら、その傷口をさらに深く抉っていった。彼女の言葉は、鋭利な刃物のように視聴者の心を切り裂き、絶望のどん底へと突き落とした。
闇のお姉さん』の人気は、予想以上に高まった。彼女の動画を見た視聴者は、精神的に不安定になり、日常生活に支障をきたす者も少なくなかった。自殺者が続出し、社会問題にも発展した。
だが、明里はそんなことには全く関心がなかった。彼女の目に映るのは、結衣を苦しめた連中への復讐だけだった。
そして、ついにその時が来た。明里は、結衣をいじめていたグループのメンバーの一人を特定し、奈落テレビ動画を通じて、彼女をターゲットにしたのだ。
連日のように、彼女を貶める動画投稿し続けた。嘘の噂を流し、プライベートな情報を暴露し、徹底的に追い詰めた。その結果、彼女は精神的に追い詰められ、学校に通うことができなくなってしまった。
明里は、モニターに映る彼女の憔悴した姿を見て、満足感に浸った。だが、同時に、深い虚無感が彼女の心を覆った。本当にこれで良かったのか?復讐は本当に、自分の心を癒してくれるのか?
その夜、明里は結衣の写真を見つめていた。写真の中の結衣は、明るい笑顔を浮かべていた。そんな結衣の笑顔を、二度と見ることができない。その事実に、改めて深い悲しみが押し寄せた。
「…結衣…ごめんね…」
明里は涙を流しながら、そう呟いた。復讐は終わった。だが、彼女の心は、以前よりもずっと深く傷ついていた。彼女は、復讐の代償として、自分自身を失ってしまったのだ。
翌日、明里は奈落テレビを辞めることを決意した。男に辞表を提出すると、男は意外そうな顔をした。「闇のお姉さん、お前は何のためにここに来たんだ?」
「…私は、間違っていました。復讐は、何も解決してくれません。ただ、傷を深くするだけです…」
明里は静かにそう答えた。男は、しばらくの間、彼女を見つめていた。そして、ため息をついた。「…そうか。まあ、好きにしろ」
明里は奈落テレビを後にした。外は、相変わらず雨が降っていた。彼女は傘をささずに、雨の中を歩き始めた。雨が、彼女の頬を濡らす。それは、まるで彼女の涙のようだった。
これから、どうすればいいのだろうか。明里には、何も分からなかった。ただ、一歩ずつ、前へと進むしかない。彼女は、新しい人生を歩み始めるために、暗い過去との決別を決意したのだった。過去を背負いながら、少しずつ、ゆっくりと。