Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
放課後の静かな教室。窓から差し込む夕日が、黒板に書き連ねられた数式をオレンジ色に染めている。17歳の数学オタク、湊斗(みなと)は、その光景をぼんやりと眺めていた。
手元のノートには、びっしりと数式が並んでいる。数時間も格闘しているのに、まるで迷路に迷い込んだかのように、出口が見えない。苛立ちが募り、無意識のうちに爪が皮膚を食い込んでいる。ピリッとした痛みが、辛うじて現実世界に引き戻してくれた。
湊斗は幼い頃から数学に没頭することで、周囲との違和感を埋めてきた。複雑な数式を解き明かす瞬間に、唯一、自分が存在している意味を見出せたからだ。
しかし、完璧主義な性格が災いし、少しでも理解できない数式があると、ひどく落ち込む。そして、その感情をどう処理していいか分からず、自傷行為に走ってしまうことがあった。
湊斗は重い足取りで教室を出た。帰り道、公園のベンチに腰を下ろすと、向かいの席に誰かが座る気配がした。顔を上げると、そこには同じクラスの凛(りん)が立っていた。
凛は、太陽のように明るい笑顔を浮かべていた。湊斗とは対照的に、いつもクラスの中心にいる人気者だ。そんな彼女が、なぜ自分を探しているのか、湊斗には理解できなかった。
湊斗がぶっきらぼうに尋ねると、凛は少し困ったような表情を浮かべた。「実はね、数学の課題でどうしても分からないところがあって…教えてくれないかな?」
湊斗は、凛の言葉に戸惑った。あんなに数学が得意な彼女が、自分に教えを乞うなんて信じられなかったからだ。しかし、凛の真剣な眼差しに、何かを感じた。
それから毎日、放課後に数学を教えることになった。湊斗は凛に数学を教えるうちに、自分の知識が誰かの役に立つことに喜びを感じるようになった。同時に、凛の明るさ、優しさに触れることで、閉ざされていた心が少しずつ開かれていくのを感じていた。
しかし、湊斗には拭いきれない不安があった。過去の苦い経験が、新たな人間関係を築くことを躊躇させていたのだ。
湊斗には、かつて依存し合っていた親友がいた。小学生の頃からいつも一緒にいた陽太(ようた)は、湊斗にとって唯一無二の存在だった。
しかし、湊斗の陽太への依存は、次第に歪んでいった。些細なことで嫉妬したり、束縛したりするようになったのだ。最初は湊斗の気持ちに応えてくれていた陽太も、次第に重荷に感じるようになり、最終的には湊斗から離れていった。
陽太を失った湊斗は、深く傷ついた。それ以来、他人と深く関わることを恐れるようになったのだ。凛との関係が深まるにつれて、湊斗の不安は増していくばかりだった。
(また、同じことを繰り返してしまうんじゃないか…)
ある日、湊斗は凛に告白された。「湊斗くんのこと、ずっと前から好きだった」
湊斗は、頭が真っ白になった。嬉しさ、驚き、そして恐怖。様々な感情が入り混じり、言葉が出てこなかった。「でも…僕は…」
「知ってるよ、湊斗くんが抱えている依存の問題も、過去のことも。それでも、私は湊斗くんのことが好きだよ」
凛の言葉は、湊斗の胸に深く突き刺さった。自分の全てを受け入れてくれる人がいるなんて、考えたこともなかったからだ。しかし、それでも、湊斗は一歩踏み出すことができなかった。
湊斗は、そう言って走り去ってしまった。凛の悲しそうな表情が、目に焼き付いて離れなかった。
数日後、湊斗は数学の模擬試験を受けていた。得意なはずの数学の問題が、全く解けない。焦りが募り、手が震え始める。そして、いつものように、無意識のうちに爪が皮膚を食い込んでいる。
試験を終え、家に帰ると、玄関に凛が立っていた。「湊斗くん、少し話せる?」
湊斗は、凛を部屋に通した。気まずい沈黙が流れる。「あの…ごめんね、あの日…」
凛は、首を横に振った。「湊斗くんは悪くないよ。ただ、少しだけ怖かっただけだよね?」
湊斗は、俯いたまま、小さく頷いた。「僕は…誰かを好きになるのが怖いんだ。また、傷つけてしまうんじゃないかって…」
凛は、湊斗の隣に座り、優しく手を握った。「大丈夫だよ。私は湊斗くんのこと、ちゃんと見ているから。辛いときは、いつでも頼ってね」
凛の言葉に、湊斗は涙が止まらなかった。初めて、自分の弱さを誰かに打ち明けることができた。そして、初めて、誰かに依存することなく、恋愛という形で繋がれるかもしれないと思った。
それから、湊斗と凛は、少しずつ距離を縮めていった。凛は、湊斗の数学の才能を心から尊敬し、湊斗は凛の明るさに癒された。お互いを尊重し、支え合うことで、2人の関係は深まっていった。
ある日、湊斗は街で陽太を見かけた。声をかけようとしたが、陽太は湊斗を無視して立ち去ってしまった。
湊斗は、再び自信を失いかけた。しかし、そんなとき、凛が湊斗の手を握りしめた。「大丈夫。私は湊斗くんの味方だよ」
凛の言葉に励まされ、湊斗は過去と向き合う決意をした。陽太に手紙を書くことにしたのだ。手紙には、過去の依存的な行動を謝罪し、今の気持ちを正直に綴った。
数日後、陽太から返事が届いた。手紙には、湊斗への恨みと、皮肉な言葉が並んでいた。
湊斗は、再び絶望に突き落とされた。しかし、今回は、凛がそばにいた。凛は、湊斗を抱きしめ、励まし続けた。「辛いけど、乗り越えられる。私がいるから」
凛の支えのおかげで、湊斗は少しずつ立ち直ることができた。そして、数学の研究に再び没頭し始めた。今度は、自分のためだけでなく、凛のためにも頑張ろうと思えるようになったからだ。
湊斗は、凛との出会いを通して、依存から脱却し、恋愛という新たな形で人と繋がることができた。そして、過去のトラウマを乗り越え、一歩ずつ前進していくことを決意した。
それから数年後、湊斗は数学者として、国際的な学会で発表していた。凛は、客席から湊斗を見守っていた。発表後、湊斗は凛に駆け寄り、固く抱きしめた。「ありがとう、凛。君のおかげで、僕はここまで来れたんだ」
湊斗は、数学の才能を開花させると同時に、恋愛を通して人間としても成長することができた。過去の痛みは消えないが、それを乗り越えて、未来に向かって進んでいくことを決意したのだ。