Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
春の光が差し込む図書室。 数学書に埋もれ、深津海斗（フカツ カイト）は微積分とにらめっこしていた。 高校三年生、受験を目前に控え、焦燥感が募る。周りのざわめきが耳に入らないほど、数式の海に溺れていた。
隣の席に誰かが座った気配がした。顔を上げると、そこにいたのはクラスメイトの朝比奈凛（アサヒナ リン）だった。凛はいつも明るく、誰からも好かれる存在。海斗とは対照的な、光のような少女だ。
「すごい集中力だね。深津君って、ほんと数学得意なんだ」凛は屈託のない笑顔で話しかけてきた。 海斗は少し戸惑いながら、「まあ、得意ってほどじゃないけど…」と答えた。
「私、数学苦手でさ。よかったら教えてくれない？」凛の言葉に、海斗は一瞬息を呑んだ。 誰かに頼られることなど、ほとんどなかったからだ。特に、凛のような存在から。
「あ…ああ、いいよ。どこがわからない？」海斗はぎこちなく笑った。 凛のノートを覗き込むと、数式は迷路のように絡み合っていた。 海斗は丁寧に、一つ一つ解きほぐしていった。
凛は熱心に耳を傾け、時折質問を挟んだ。 海斗は説明するうちに、数学の面白さを再発見したような気がした。 教えることは、理解を深める最良の方法なのかもしれない。
凛と数学を勉強する時間が、海斗にとってかけがえのないものになっていった。 凛は勉強だけでなく、海斗の悩みや不安にも耳を傾けてくれた。 過去のトラウマから、人間関係を避けてきた海斗にとって、凛は初めて心を許せる存在だった。
中学時代、海斗には親友と呼べる存在がいた。彼の名前は、佐藤健太（サトウ ケンタ）。 数学が得意な海斗は、健太によく勉強を教えていた。しかし、いつしか二人の関係は歪んでいった。
健太は海斗に依存するようになり、海斗なしでは何もできなくなった。 海斗は健太の依存に応え続けることに疲れ果て、距離を置くようになった。 健太はそれを裏切りだと感じ、激しく海斗を恨んだ。 その後、健太は海斗の前から姿を消した。
健太との一件以来、海斗は人間関係を極度に恐れるようになった。 誰かに依存されることも、誰かに依存することも。 深く関われば、必ず傷つく。 そう信じていた。
凛と過ごすうちに、海斗は依存と恋愛の区別がつかなくなっていた。 凛の笑顔を見るだけで胸がドキドキする。 凛のためなら、何でもしてあげたい。 しかし、それは過去の悪夢の再来なのかもしれない。 海斗は恋愛感情を自覚するたびに、自傷行為に走った。
手首に残る無数の傷跡が、過去の依存の記憶を呼び起こす。 海斗はカッターナイフを手に取り、震える指で皮膚をなぞった。 自傷行為は、痛みとともに感情を麻痺させる、一時的な逃避だった。
ある日、凛は海斗の腕に包帯が巻かれていることに気づいた。「深津君、どうしたの？ その腕…」凛は心配そうに尋ねた。 海斗は目を逸らし、「転んだだけだよ」と答えた。
凛は海斗の嘘を見抜いていた。 彼女は優しく海斗の手を取り、「私、深津君のこと、もっと知りたい。辛いこと、全部話してほしい」と言った。
海斗は戸惑いながらも、過去のトラウマ、依存への恐怖、そして恋愛感情について、少しずつ語り始めた。 凛は一言も口を挟まず、ただ静かに海斗の話を聞いていた。
海斗が話し終えると、凛は涙を浮かべていた。「辛かったね、深津君。 でも、もう一人で抱え込まないで。 私が一緒にいるから」 凛の言葉に、海斗は救われたような気持ちになった。
「凛…ありがとう」海斗は震える声で言った。 凛は海斗を強く抱きしめた。 海斗は凛の温もりに包まれ、心が少しずつ癒されていくのを感じた。
二人の関係は、恋愛へと発展していった。 しかし、過去の傷は簡単に癒えるものではない。 海斗は時折、健太の幻影に苦しめられた。
ある日、海斗は街で偶然、健太と再会した。 健太は以前よりもずっとやつれており、目は憎悪に満ちていた。「深津…よくも裏切ってくれたな」 健太は海斗を激しく恨んでいた。
健太は海斗を暴力で制裁しようとした。 海斗は抵抗したが、健太の勢いに押され、地面に倒れ込んだ。 その時、凛が駆けつけ、健太を突き飛ばした。「やめて！ 深津君に何をするの！」
健太は凛を見て、一瞬怯んだ。 しかし、すぐに怒りを露わにし、「お前もグルか！ 深津の味方をするのか！」と叫んだ。
凛は毅然とした態度で健太に言い放った。「私は深津君のことが好きよ。 誰が何と言おうと、彼の味方だわ」 凛の言葉に、健太は言葉を失った。 彼は悔しそうな表情を浮かべ、その場から逃げ去った。
凛は海斗の手を取り、「大丈夫？ 怪我はない？」と心配そうに尋ねた。 海斗は凛の優しさに涙が止まらなかった。「ありがとう、凛… 君がいてくれて、本当によかった」
事件後、海斗は自傷行為をやめた。 凛の支えのおかげで、過去のトラウマを少しずつ克服していった。 二人は力を合わせ、受験勉強に励み、同じ大学に進学することができた。
大学生になった海斗は、数学研究会に入り、数学の奥深さを追求するようになった。 凛は海斗の数学への情熱を応援し、二人は互いに支え合いながら、充実した日々を送っていた。
数年後、海斗は数学者として、世界的に認められるようになった。 しかし、過去の出来事は、時折海斗の心を苦しめることがあった。
ある日、海斗は学会で健太と再会した。 健太は以前とは全く違う、穏やかな表情をしていた。 彼は海斗に近づき、「あの時はすまなかった」と謝罪した。
「俺は依存することでしか、自分を保てなかったんだ。 でも、それは間違いだった。 深津、お前を恨んだことを、ずっと後悔している」 健太の言葉に、海斗は複雑な感情を抱いた。
「俺たち、もう一度、友達になれるだろうか？」健太は恐る恐る尋ねた。 海斗は少し考えた後、「ああ、もちろん」と答えた。
海斗と健太は、過去のわだかまりを解き、再び友情を育み始めた。 海斗は依存という呪縛から解放され、恋愛、友情、そして数学への情熱に支えられ、前に進んでいく。
海斗は過去の経験を糧に、依存に苦しむ人々を支援する活動を始めた。 彼は自傷行為の危険性を訴え、心のケアの重要性を広めるために奔走した。
凛は海斗の活動を全面的にサポートし、二人は共に、より良い社会を築くために努力を続けた。 そして、二人の間には、かけがえのない愛情が育まれていった。
「なぜ、あんなにも深津を恨んでしまったのだろうか…。 彼はただ、俺の依存から逃れたかっただけなのに。 あの時、もっと冷静に、彼の気持ちを理解できていたら…。 今更後悔しても、もう遅いのかもしれない。 それでも、俺は深津の幸せを、心から願っている。そして、いつかまた、彼の隣で笑える日が来ることを…。」
数式と依存、傷跡と恋愛。 それらは複雑に絡み合い、人の心を翻弄する。 しかし、誰かを愛し、誰かに支えられることで、人は過去の傷を乗り越え、未来へと羽ばたくことができる。
春の風が吹く公園で、海斗と凛は手をつないで歩いていた。 二人の間には、確かな絆があった。 数式の迷路を抜け出した先に、二人は幸せを見つけたのだ。