Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
教室の窓から差し込む午後の光が、埃っぽく舞う教室内を照らしていた。彼女、花音(かのん)は、いつも決まった席に座り、ノートに数学の問題を書き連ねている。その横顔は、まるで彫刻のように整っていて、冷たい美しさすら感じさせる。
しかし、今日はいつもと様子が違っていた。ペンを持つ手がわずかに震え、ノートの隅には消しゴムの跡がいくつも残っている。視線の先にある数式は、まるで彼女を嘲笑うかのように複雑に絡み合っていた。
廊下を歩く足音が聞こえ、花音の肩がビクリと跳ね上がった。ドアが開くと、依存している相手、翔太(しょうた)が顔を出した。彼の瞳には、いつも花音への強い執着が宿っている。
翔太の声は優しく、しかしどこか不安げだった。花音はペンを置き、ゆっくりと顔を上げた。その目は、まるで深い湖のように静かで、何も映していないようだった。
花音の声はかすれていて、まるで壊れやすい硝子のようだった。翔太は花音の隣に座り、そっと彼女の手を握った。その瞬間、花音の肩が再び震え、今度は静かに泣き始めた。
翔太は焦ったように花音の顔を覗き込んだ。花音は首を横に振り、何も言おうとしなかった。しかし、翔太は知っていた。彼女が抱えている苦しみを、彼女が隠している自傷の跡を。
翔太と花音が出会ったのは、高校の入学式だった。花音はその才能ゆえに周りから孤立し、いつも一人でいた。そんな花音に、翔太は勇気を出して声をかけたのだ。
「ねえ、君って数学が得意なんだって?もしよかったら、僕に教えてくれないか?」
それが二人の関係の始まりだった。翔太は数学が得意ではなかったが、花音に近づきたくて、必死に勉強した。花音は最初は戸惑っていたが、翔太の真剣な眼差しに心を許し始めた。
いつしか二人は、お互いを必要とする存在になっていた。花音は翔太に依存し、翔太もまた花音に依存していた。しかし、その関係は歪んでおり、お互いを傷つけ合っていることに、二人は気づいていなかった。
大学受験を控えたある日、花音は予備校の講師から「君なら必ず一流の数学者になれる」と言われた。その言葉は、花音の心に大きな希望を与えた。
しかし、その希望はすぐに絶望へと変わった。翔太は花音が自分から離れていくのではないかと不安になり、嫉妬に狂った。
「お前は俺がいなくても生きていけるんだな!俺はお前なしじゃ生きていけないのに!」
翔太は花音に怒鳴り散らし、花音を激しく束縛した。花音は翔太の言葉に深く傷つき、何も言えなくなってしまった。
花音はそれ以来、数学に向き合うことができなくなった。彼女にとって数学は、喜びの源であると同時に、翔太との関係を悪化させる元凶でもあった。
「花音、ごめん。言い過ぎた。でも、お前がいなくなるのが怖いんだ」
翔太は花音に謝罪し、泣きながら彼女に抱きついた。花音は翔太の背中をそっと撫でた。その瞬間、花音は自分が翔太を恋愛しているのか、それともただ依存しているだけなのかわからなくなった。
初めて会った時のことを思い出した。彼は優しくて、いつも私のそばにいてくれた。孤独だった私に光をくれた人。あの時、私は彼の優しさに惹かれたのだろうか。それとも、ただ寂しかっただけだろうか。
大学進学後、花音は次第に数学の研究に没頭していく。しかし、その一方で、翔太への依存心も捨てきれずにいた。研究室に篭りきりで、食事もろくに取らない花音を、翔太は心配そうに見守っている。
ある夜、花音は難解な数式に頭を悩ませていた。どれだけ考えても、答えにたどり着かない。焦りと苛立ちが募り、花音は無意識のうちにカッターナイフを手に取っていた。
花音は自分の腕に刻まれた無数の傷跡を見て、愕然とした。それは、過去の苦しみや絶望を象徴する自傷の証だった。
翔太が花音の腕を掴んだ。その瞳には、深い悲しみと怒りが宿っていた。翔太は花音からカッターナイフを奪い取り、ゴミ箱に投げ捨てた。
「いい加減にしろ!お前はいつもそうやって自分を傷つけて!俺はお前がそんなことするのを見るのが辛いんだ!」
翔太は花音を抱きしめ、泣き叫んだ。花音は翔太の温かさに包まれ、ようやく我に返った。自分がどれだけ愚かなことをしていたのか、痛いほど理解できた。
花音は翔太に何度も謝り、自分の罪を悔いた。翔太は花音を抱きしめながら、「もう二度と、こんなことはしないでくれ」と懇願した。
翌日、花音は数学の教授に相談し、自分の依存症について打ち明けた。教授は花音の話を親身に聞き、専門医を紹介してくれた。
花音は精神科に通い、カウンセリングを受けることにした。そこで、彼女は過去のトラウマや依存心の原因について深く掘り下げていった。
花音は少しずつ、自分の心と向き合えるようになってきた。そして、彼女は決意した。自分の力で依存症を克服し、翔太との歪んだ関係を終わらせようと。
花音は翔太に自分の気持ちを正直に伝えた。「私たちは、お互いに依存しすぎている。このままでは、お互いを不幸にしてしまう。だから、もう終わりにしよう」
翔太は花音の言葉にショックを受け、泣き崩れた。彼は花音が自分から離れていくことを受け入れることができなかった。しかし、花音の決意は固く、揺るがなかった。
「分かった…、お前の気持ちは分かった。でも、俺はお前のことを諦められない。いつか、お前が俺の元に戻ってきてくれると信じている」
翔太は涙ながらにそう言い、花音の元を去った。花音は翔太の背中を見送りながら、自分の心に言い聞かせた。「これでよかったんだ。これで、お互いが幸せになれるんだ」
花音はその後も数学の研究に打ち込み、素晴らしい成果を上げることができた。彼女は自傷行為を繰り返すこともなくなり、精神的に安定した日々を送っていた。
数年後、花音は国際的な数学学会で講演を行った。彼女の発表は多くの参加者から賞賛され、花音は一躍脚光を浴びた。
講演後、花音はかつての恋人、翔太と再会した。翔太は以前よりもずっと大人びていて、穏やかな表情をしていた。
「花音、おめでとう。君の活躍は、いつもニュースで見ていたよ」
翔太は花音に祝福の言葉を贈り、優しく微笑んだ。花音は翔太の成長した姿を見て、胸が熱くなった。彼女は、自分自身も大きく成長できたことを実感した。
二人は互いの近況を報告し合い、昔話に花を咲かせた。そして、最後に翔太は花音に言った。「今なら、君のことを対等な立場で愛せる気がする」
花音は翔太の言葉を聞き、静かに微笑んだ。彼女は、過去の依存関係にとらわれず、新しい恋愛を始めることができるかもしれない、と感じた。