Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
眩しい日差しが数学研究会の部室に差し込む。埃っぽい空気の中、ノートとペンが擦れる音だけが響いていた。奥村遥斗は、数式で埋め尽くされたノートを睨みつけていた。
「また、こんな時間まで…」背後から優しい声がした。振り返ると、栗色の髪を揺らしながら、宮沢莉央が立っていた。いつも気にかけてくれる、唯一の存在。
遥斗は小さな声で「ごめん…」と呟いた。莉央は優しく微笑み、彼の隣に腰を下ろした。
「無理しないでね。遥斗君は真面目すぎるから」莉央は依存するように遥斗の肩に凭れかかった。遥斗は少しだけ戸惑いながらも、彼女を受け入れた。
遥斗は小さい頃から数学の才能を発揮し、周囲から期待されていた。しかし、その期待は次第にプレッシャーとなり、彼を苦しめていた。
優秀な兄と比較され、完璧主義な父親からの重圧…彼は誰にも相談できず、孤独を深めていった。心の行き場のない感情は、自傷行為という形で現れた。
莉央との出会いは、そんな彼の心を少しだけ温めた。莉央は遥斗の才能を心から尊敬し、彼の努力を認めてくれた。しかし、それは同時に新たな依存関係を築き始めていた。
「ねえ、遥斗君。今度、新しいケーキのお店に行ってみない? ずっと気になってたんだ」莉央は無邪気な笑顔で誘った。
「ああ…わかった」遥斗は答えた。莉央といる時間は確かに心地よい。けれど、その安らぎは、彼自身の成長を妨げているような気がしていた。
初めて莉央に会った日のことを、遥斗は鮮明に覚えている。図書館で参考書を探していた莉央が、重い本棚から本を落としてしまったのだ。彼は迷わず駆け寄り、本を拾い上げた。
「ありがとうございます…!」 莉央は顔を赤らめてお礼を言った。その時、遥斗は初めて、人の役に立てた、という感情を抱いた。同時に、これが依存なのか恋愛なのだろうか?という疑問が頭をよぎった。
莉央は数学が苦手で、遥斗にいつも教えてもらっていた。遥斗は丁寧に教え、莉央は熱心に学んだ。二人の距離は、勉強会を重ねるごとに近づいていった。
ある日、遥斗は父親から「お前は兄に比べて劣っている」と罵倒された。彼は深く傷つき、自室に閉じこもった。そして、カッターナイフを手に取った。
その時、莉央から電話がかかってきた。「遥斗君、元気ない? 声が暗いよ」
「…なんでもない」彼は平静を装って答えたが、声は震えていた。
「嘘だ。絶対に何かあった。私、今からそっちに行く」莉央は一方的に電話を切った。
しばらくして、莉央が彼の部屋に駆け込んできた。そして、彼の腕に刻まれた傷跡を見つけてしまった。「…どうして…?」莉央は涙ながらに問い詰めた。
遥斗は全てを打ち明けた。父親からのプレッシャー、兄との比較、そして、孤独な自傷行為…。莉央はただ黙って、彼の話を聞いていた。
「もう、そんなことしないで…! 遥斗君には、私がいなくなっちゃうと困るでしょ…?」莉央は遥斗に抱き着き、泣きじゃくった。
その言葉を聞いた瞬間、遥斗は激しい自己嫌悪に襲われた。自分はただ、莉央に依存しているだけじゃないか…?彼女の優しさに甘え、自分の弱さを隠しているだけじゃないか…?
莉央の存在は、確かに彼の心の支えだった。しかし、それは同時に、彼を自立から遠ざけていた。彼は数学者を目指すという夢を持ちながらも、莉央の存在に縛られ、一歩を踏み出せないでいた。
「…莉央」彼は震える声で言った。「少し、距離を置きたい」
莉央は目を見開いた。「…どうして…? 私のこと、嫌いになったの…?」
「違うんだ。そうじゃない。ただ…このままじゃ、二人ともダメになる気がするんだ」
莉央は涙を堪えながら、「わかった…」と答えた。その夜、遥斗は一睡もできなかった。
数日後、遥斗は数学の教授の研究室を訪ねた。教授は遥斗の才能を高く評価しており、海外留学を勧めていたのだ。遥斗は決意を胸に、留学への意志を伝えた。
「いい決断だ。君なら、必ず世界で通用する数学者になれる」教授は遥斗の背中を力強く叩いた。
留学が決まり、遥斗は莉央にそのことを伝えた。莉央は笑顔で「頑張ってね!」と送り出してくれたが、その瞳には寂しさが宿っていた。
出発の日、空港で莉央は遥斗に手作りのクッキーを渡した。「これ、お守り。無事に帰ってきてね」
遥斗はクッキーを受け取り、「ありがとう」と答えた。そして、搭乗ゲートへと向かった。
飛行機の中で、遥斗は過去の自分を振り返った。莉央に依存していた自分、自傷行為に逃げていた自分…。そして、未来への希望を胸に抱き、新たな一歩を踏み出す決意を固めた。
数年後、遥斗は数学者として世界的な評価を得て、日本に帰国した。彼はまず、莉央に会いに行った。
莉央は以前と変わらず、優しく微笑んで遥斗を迎えた。「おかえりなさい、遥斗君。ずっと待ってたよ」
遥斗は恋愛感情というよりも、かけがえのない友人への親愛を莉央に感じていた。「ただいま、莉央。あのね…」遥斗は留学中の研究成果と、これからの夢を熱く語った。莉央は嬉しそうに頷き、彼の言葉に耳を傾けていた。
二人の関係は、依存ではなく、互いを尊重し、支え合う、成熟した友情へと変化していた。遥斗は、自分の足で立ち、自分の力で未来を切り開くことができるようになった。それは、莉央との別れを経て得た、大きな成長だった。
公園のベンチで夕日を眺めながら、遥斗は数学の難問に依存せずに向き合い、そして微笑んだ。「解ける日が来るかもしれない。来なくても、それもまた人生だ」遥斗は自分の足で歩き始めたことを改めて実感した。
夕焼け空の下、遥斗と莉央は肩を並べて歩き出した。それぞれの道を歩みながらも、二人の絆は永遠に色褪せることはないだろう。
数式で埋め尽くされた遥斗の未来は、無限の可能性に満ち溢れていた。過去の苦しみは、彼を強くし、未来への糧となっていた。