Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
春の陽光が教室に差し込む中、数学教師である沢村凛太郎は、黒板に向かい、数式を解いていた。凛太郎、28歳。その才能は疑いようもなく、大学時代には数々の数学賞を受賞し、将来を嘱望されていた。数学者になる夢を抱いていた時期もあったが、今は小さな進学校で教鞭をとる日々を送っている。
凛太郎の心には、誰にも打ち明けられない深い闇があった。それは幼少期から続く、自己否定感と孤独感。他人との関わりを極端に恐れ、深く依存することでしか安心を得られない。
その依存の対象となっているのが、教え子のひとり、17歳の女子高生、桜井美咲だった。美咲は凛太郎にとって、眩い光のような存在だった。彼女の屈託のない笑顔、無邪気な言葉、そして、時に見せる脆さ。その全てが凛太郎を惹きつけていた。
初めて二人が出会ったのは、去年の夏。補習授業でのことだった。美咲は数学が苦手で、凛太郎に助けを求めてきた。最初はただの教師と生徒の関係だった。
美咲の澄んだ瞳が、凛太郎をまっすぐに見つめた。その瞬間、凛太郎の心に小さな火が灯った。彼女の純粋さに触れるたび、凛太郎は忘れていた感情を思い出すようだった。その感情が、一体恋愛なのか、それとも歪んだ依存なのか、彼にはわからなかった。
補習授業の後、二人は数学の話だけでなく、様々なことを話すようになった。美咲は家族のこと、友達のこと、そして将来の夢を凛太郎に語った。凛太郎もまた、美咲にだけは自分の過去や悩み事を打ち明けることができた。他の誰にも言えなかったことを。
次第に、二人の関係は教師と生徒という枠を超えていった。放課後、凛太郎は美咲とカフェに行き、長い時間を過ごすようになった。休日には、一緒に映画を観たり、街を散策したりすることもあった。
ある日、凛太郎は美咲を公園に誘った。桜の木の下で、二人は向かい合って座った。
「先生…」美咲が何かを言いたげに口を開いた。「私、先生のこと…」
凛太郎は息を呑んだ。美咲が何を言おうとしているのか、彼には分かっていた。しかし、それを聞いてしまうのが怖かった。彼は、美咲の気持ちに応える資格がないと思っていたからだ。
「…尊敬しています。先生みたいに、数学が好きになれたらいいな、って」
美咲の言葉に、凛太郎は安堵した。同時に、深い絶望感に襲われた。彼は美咲を恋愛対象として見てしまっていたのだ。教師として、絶対に許されない感情だった。
その夜、凛太郎は自室でひとり、苦悩していた。彼は美咲への感情を断ち切ろうと決意した。しかし、それは想像以上に困難だった。美咲の声が、笑顔が、彼の頭から離れなかった。
そして、彼はある行動に出た。カッターナイフを取り出し、自分の腕を自傷し始めたのだ。痛みによって、美咲のことを忘れようとした。それは、彼にとって唯一の救いだった。
翌日、凛太郎は憔悴した様子で学校に現れた。美咲は彼の異変に気づき、心配そうに声をかけた。
凛太郎は努めて平静を装った。「ああ、大丈夫だよ。少し寝不足なだけだ」
しかし、美咲は納得しなかった。彼女は凛太郎の目をじっと見つめた。「何かあったら、私に言ってくださいね」
美咲の言葉に、凛太郎の胸は締め付けられた。彼女の優しさが、彼をさらに苦しめた。彼は美咲に嘘をついていること、そして、彼女を傷つけていることを痛感した。
凛太郎は美咲を避けるようになった。放課後のカフェにも行かなくなったし、メールにも返信しなくなった。美咲は戸惑い、悲しんだ。
ある日、美咲は凛太郎の家を訪れた。インターホンを鳴らすと、凛太郎が気まずそうにドアを開けた。
「先生…どうして私を避けるんですか? 私、何かしましたか?」
凛太郎は目をそらした。「…君のためなんだ。君はまだ若い。もっと他に目を向けるべきだ」
「先生…」美咲は涙をこぼした。「先生の気持ち、分かっています。私も…先生のこと、好きなんです」
凛太郎は衝撃を受けた。美咲もまた、自分と同じ気持ちだったのか。しかし、だからこそ、二人は結ばれてはならない。
「…美咲、これは間違いだ。僕たちは教師と生徒だ。そんな関係は許されない」
「君には、もっと相応しい人がいる。僕なんかじゃ、君を幸せにできない」
凛太郎は美咲を突き放した。美咲は泣きながら、凛太郎の家を後にした。
その後、凛太郎は学校を辞めた。彼は美咲から逃げるように、別の街へと引っ越した。新しい場所で、彼は再び数学教師として働き始めた。しかし、彼の心には、美咲の面影が深く刻まれていた。
数年後、凛太郎は新聞記事で美咲のことを知った。彼女は数学者になり、海外で研究活動をしているという。凛太郎は、美咲が自分の夢を叶えたことを知り、心から喜んだ。
しかし、同時に、深い後悔の念に襲われた。彼は美咲を傷つけたことを、そして、自分の弱さゆえに、彼女を失ったことを、一生忘れることはないだろう。
凛太郎は美咲のことを思いながら、今日も黒板に向かい、数式を解いている。歪んだ方程式は、彼の中でまだ解かれることなく、深く刻まれたままだ。依存と恋愛、その区別がつかないまま、彼は生きていく。
そして、時折、腕に残された自傷の跡を見つめながら、彼は独りごちるのだ。「これが、僕の罪なんだ」と。