歪んだ証明

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

講義室の窓から差し込む午後の光が、数学科のノートを照らしていた。16歳の奏太は、難しい数式に必死に食らいついていた。周りの大学生たちが談笑する声も、耳には入らない。彼にとって、数学は唯一の救いだったから。
家に帰ると、奏太はいつものように小さな部屋に閉じこもった。机の上には参考書とノートが山積みになっている。鉛筆を走らせ、数式を解いていく。集中しているときは、現実の苦しみから解放される。
その夜、スマートフォンが震えた。画面には美咲の名前が表示されている。美咲は、奏太にとって特別な存在だった。初めて会ったときから、その明るさと優しさに惹かれた。
『奏太、今日もお疲れ様。何かあったら、いつでも頼ってね』
奏太はメッセージを読み、少しだけ心が温かくなった気がした。『ありがとう』とだけ返信した。本当は、誰かに助けを求めたかった。でも、弱音を吐くことはできなかった。
美咲との出会いは、高校入学式の後だった。彼女は明るく誰にでも分け隔てなく接し、すぐにクラスの中心的な存在になった。一方、奏太は人見知りが激しく、なかなか友達を作ることができなかった。
ある日、奏太が数学の問題で悩んでいると、美咲が声をかけてきた。『それ、教えてあげようか?』彼女は難しい問題を分かりやすく解説してくれた。その時から、奏太は美咲に依存するようになった。
美咲は奏太の才能を認めていた。『奏太は数学の才能があるから、絶対に諦めないで』彼女の言葉は、奏太にとって大きな励みになった。美咲の期待に応えたい。それが、奏太の数学を学ぶモチベーションだった。
しかし、依存は歪んだ形となって現れる。奏太は、美咲からの連絡がないと不安になり、常に彼女の動向を気にするようになった。少しでもそっけない態度を取られると、ひどく落ち込んだ。まるで、自分は彼女の操り人形なのではないか、と感じてしまう。
ある日、学校で美咲が別の男の子と楽しそうに話しているのを目撃した。胸が締め付けられるような痛みを感じた。なぜ、自分ではないのだろうか?なぜ、自分を一番に考えてくれないのだろうか?
その夜、奏太は自分の腕をカッターナイフで傷つけた。赤い線が肌を彩り、痛みとともに少しだけ心が落ち着いた気がした。これは、現実から逃れるための、唯一の手段だった。自傷行為は、奏太にとっての一種の麻薬だった。
美咲との関係に悩みながらも、数学の研究は続けていた。数式の中に、自分の居場所を見つけていた。大学受験が近づき、奏太はより一層数学に打ち込むようになった。
しかし、プレッシャーは日に日に増していった。美咲の期待に応えなければならない。良い大学に入り、彼女に認めてもらわなければならない。もし、失敗したら…
ある日、奏太は美咲に思い切って自分の気持ちを打ち明けることにした。『美咲、いつもありがとう。君のおかげで、僕は数学を頑張ることができている。でも…僕は、君に依存しすぎているのかもしれない』
美咲は驚いた顔で奏太を見た。『そんなこと、全然知らなかった。ごめんね、私…』
『僕は、君のこと…恋愛感情を持っているんだと思う。でも、それが本当に恋愛なのか、ただの依存なのか、自分でも分からない』奏太は、苦しそうに言葉を絞り出した。
美咲は少し考え込んだ後、優しく答えた。『奏太、私は君のことを友達として大切に思っているよ。でも、恋愛感情は…今はまだ分からない。ただ、君が苦しんでいるのは、見ていて辛い。一度、専門の人に相談してみたらどうかな?』
奏太は美咲の言葉を聞き、自分の抱えている問題が、依存だけではないことに気づいた。自分の心の奥底には、もっと深い闇が潜んでいるのかもしれない。それは、自分自身でも理解できない感情だった。
数日後、奏太はカウンセラーの元を訪れた。最初は緊張していたが、カウンセラーの優しい言葉に励まされ、少しずつ自分の過去や感情について話し始めた。
カウンセラーは、奏太の依存の背景には、自己肯定感の低さや、過去のトラウマがあることを指摘した。そして、自傷行為は、一時的な快楽を得るための手段ではなく、心のSOSのサインだと教えてくれた。
カウンセリングを受け続けるうちに、奏太は少しずつ自分自身と向き合えるようになった。美咲への依存も、徐々に薄れていった。彼女は、あくまで友達であり、自分の人生を左右する存在ではないと、理解できるようになった。
大学受験の日が近づいてきた。奏太は、過去の自分とは違う、落ち着いた気持ちで試験会場に向かった。美咲の期待に応えたいという気持ちはあるが、それ以上に、自分の将来のために全力を尽くしたいと思っていた。
試験の結果は、合格だった。奏太は、自分の力で夢を掴み取った。美咲に電話で報告すると、彼女は心から喜んでくれた。『おめでとう、奏太!本当にすごいね!』
奏太は、大学で数学の研究を続ける傍ら、カウンセリングにも通い続けた。自分の心と向き合い、過去のトラウマを乗り越えるために。そして、いつか美咲に、友達として、自信を持って接することができるように。
それから数年後、奏太は大学院に進学し、数学者への道を歩んでいた。美咲とは、時々連絡を取り合う程度の関係だが、お互いを尊重し、応援しあえる、良い友達関係を築いている。
ある日、奏太は美咲に誘われ、久しぶりに二人で会うことになった。カフェでコーヒーを飲みながら、昔話に花を咲かせた。美咲は、相変わらず明るく、優しい女性だった。
会話の中で、奏太は過去の依存自傷行為について、美咲に改めて謝罪した。『あの時は、本当にごめん。君に迷惑をかけてしまった』
美咲は笑顔で答えた。『もう過去のことだよ。奏太が元気になって、本当に良かった。それに、あの時の経験があったから、今の私があるのかもしれない』
奏太は、美咲の言葉に救われた気がした。過去の過ちを乗り越え、前に進むことができた。そして、依存恋愛といった感情に囚われず、自分自身を大切にすることの大切さを学んだ。
夕暮れ時、奏太と美咲はカフェを出て、並んで歩き出した。空には、美しい夕焼けが広がっていた。奏太は、これからの人生を、自分らしく、力強く生きていこうと決意した。
それは、歪んだ関係から生まれた、希望の数学的証明だった。