Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
僕はショウ。気が付くと、そこは見慣れない白い部屋だった。冷たい蛍光灯が眩しく、微かに消毒液の匂いが鼻を突く。…ここはどこだ?
最後に覚えているのは、激しい頭痛と、無数の光…だった気がする。ああ、そうか、僕は死んだんだ。
突然の死後の世界に戸惑いながらも、意外と冷静だった。死んだら楽になる、そう思っていた時期もあったから。
重い体を起こし、部屋を見渡すと、簡素なベッドと小さな机が目に入った。窓の外はぼやけてよく見えない。
コン、コン、とノックの音がした。許可する間もなく、部屋のドアが開く。
「おはようございます、ショウさん。体調はいかがですか?」
そう問いかけてきたのは、優しそうな顔をした女性だった。白衣を着ているところを見ると、医者か看護師だろう。
「ここは療養所です。あなたは…まあ、少しの間、こちらで休んでいただくことになります」
「あなたはまだ、ご自身の状況を完全に受容できていないようです。焦らず、ゆっくりと受け入れてください」
彼女はそう言うと、僕に一枚のパンフレットを手渡した。そこには、療養所の案内や、死後の世界に関する情報が書かれていた。
衝撃的な事実に言葉を失った。死後の世界があること自体、信じられないのに、その上に療養所まであるなんて。
しかし、それ以上に僕の心を蝕んだのは、彼女の言葉だった。受容…僕は、自分の死を受け入れられていない?
部屋に一人残された僕は、深く考え込んだ。自分が死んだこと、その死因…何もかもが曖昧で、現実感がなかった。
それから、僕は療養所の一室に引きこもる生活を送るようになった。毎日、同じような景色を見て、同じような食事を取り、同じような時間を過ごす。
他の患者と顔を合わせることもなく、誰とも話すこともなかった。生きていた頃からそうだったように、僕は孤独の中に閉じこもっていた。
死んだら楽になると思っていたのに、死後の世界には死後の世界なりの苦しみがあることに気付いてしまった。それは、死にたくても死ねないという残酷な事実。
8年の月日が流れた。8年間、僕は一歩も部屋から出なかった。
そんなある日、部屋のドアがノックされた。いつもの看護師だろうか? しかし、ドアを開けると、そこに立っていたのは見知らぬ女性だった。
彼女は、僕を見つめて優しく微笑んだ。その笑顔は、どこか懐かしく、温かい光を放っていた。
「私は、あなたの担当になったカウンセラーです。少し、お話しませんか?」
僕は戸惑いながらも、彼女を部屋に招き入れた。8年間、誰とも話していなかったから、何を話せばいいのか分からなかった。
「ショウさんは、8年間、ずっとこの部屋に閉じこもっていたそうですね」
成香は、静かにそう切り出した。僕は、頷くことしかできなかった。
「あなたは、自分が死んだことを受け入れられないと思っているかもしれません。でも、それは間違いではありません」
「そうです。人間は、大切なものを失ったとき、簡単に受け入れることはできません。特に、それが自分の命であれば、なおさらです」
彼女の言葉は、僕の心の奥底に響いた。僕は、自分が死んだことを受け入れられないのではなく、受け入れたくなかったのだ。
「でも、いつまでも過去に囚われていてはいけません。あなたは、前に進むことができるはずです」
成香は、僕の目をまっすぐに見つめて言った。その瞳には、強い意志と優しさが宿っていた。
彼女との出会いをきっかけに、僕は少しずつ変わっていった。週に一度、彼女とのカウンセリングを受けるようになり、少しずつ自分の過去を語るようになった。
成香は、いつも僕の話を真剣に聞いてくれた。どんなにつらい過去も、どんなに情けない感情も、彼女は全て受け止めてくれた。
僕は、徐々に心を開いていった。8年間、閉ざされていた心が、少しずつ解き放たれていくのを感じた。
ある日、成香は僕にこう言った。「そろそろ、部屋から出てみませんか?」
僕は、躊躇した。8年間、外の世界を見ていない。今更、外に出ても、何も変わらないのではないかと思った。
しかし、成香は諦めなかった。「大丈夫です。私が一緒にいますから」
彼女の言葉に励まされ、僕は思い切って部屋を出てみることにした。
久しぶりに見る外の世界は、想像以上に輝いていた。鮮やかな花々が咲き誇り、鳥たちが楽しそうに歌っている。まるで、生きていた頃の風景のようだった。
僕は、成香と一緒に療養所の中を散歩した。他の患者とすれ違うこともあったが、みんな優しく微笑んでくれた。
8年間、孤独に苛まれていた僕にとって、それは新鮮な体験だった。
散歩を終え、部屋に戻ると、僕は疲れ果ててベッドに倒れ込んだ。しかし、心は不思議なほど満たされていた。
「少しずつでいいんです。ゆっくりと、自分のペースで進んでいきましょう」
それから数ヶ月後、僕は死因を思い出した。それは、あまりにも悲惨な出来事だった。
記憶が蘇るにつれて、僕は激しい後悔と罪悪感に苛まれた。息子を一人残して死んでしまったこと、それが何よりも辛かった。
成香は、そんな僕の気持ちを察して、そっと寄り添ってくれた。「辛いですね…」
「そうですね。でも、今はまだ、無理をする必要はありません。ゆっくりと、自分の気持ちと向き合ってください」
僕は、成香の言葉に従い、時間をかけて自分の過去と向き合った。そして、徐々に自分の死を受け入れていった。
数年後、僕は療養所を出て、別の場所で生活を始めた。成香とは、今でも時々連絡を取り合っている。
僕は、まだ過去の傷跡を抱えている。しかし、あの時の絶望的な孤独からは解放された。
そして今、僕は、自分の人生を、もう一度やり直そうとしている。 死後の世界で、新しい自分を見つけようとしている。
ある日、成香から電話がかかってきた。「ショウさん、大変なことが起きました」
僕は、電話越しに絶叫した。「そんな… そんなこと、絶対にさせない!」
気がつくと、僕は走り出していた。どこへ向かっているのかも分からずに、ただひたすらに走り続けていた。
ふと、見覚えのある場所に辿り着いた。それは、僕が死んだ場所だった。
そこに、息子が立っていた。彼は、僕が自殺した時と同じように、ガソリンをかぶっていた。
「やめろ! 死ぬな! 死んだら、終わりじゃないんだ! 死後の世界には、死後の世界の苦しみがあるんだ! 僕はそれを知っている!」
僕は、必死に叫んだ。しかし、息子は、僕の声に気付かないようだった。彼は、静かにライターに火をつけようとした。
「死ぬなああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
その時、奇跡が起きた。僕の声が、息子の耳に届いたのだ。彼は、驚いた顔でこちらを振り返った。
息子は、僕の名前を呟いた。僕は、涙を堪えながら、息子に駆け寄った。「違う…私はお前の父親じゃない。でも、お願いだ。死なないでくれ!」
息子は、しばらくの間、僕を見つめていた。そして、静かにライターを地面に落とした。
息子は、僕の胸の中で、声を上げて泣き出した。その涙は、悲しみと絶望、そして、ほんの少しの希望が混ざり合った、複雑な感情の表れだった。
その後、息子は自殺未遂で保護され、精神科医の治療を受けることになった。僕は、息子に寄り添い、彼を支え続けた。
時間がかかったが、息子は徐々に回復していった。そして、いつしか、笑顔を見せるようになった。
僕は、死後の世界から、息子の成長を見守り続けた。そして、いつの日か、息子が幸せな人生を送ってくれることを願っている。
自分の犯した罪は決して消えない。しかし、せめて、残された者が幸せになれるように。それが、今の僕の願いだ。
いつか、息子に会える日が来るのだろうか。その時、僕は、彼に何を伝えればいいのだろうか。 「生きていてくれて、ありがとう」 ただ、それだけだろうか…