死後の療養所:8年間の沈黙、そして受容

Drama 21 to 35 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

見慣れた天井が、いつもより白く感じた。いや、ここは天井なんて洒落たものではなくて、ただの殺風景なコンクリートだ。死後、僕はEPR97809、通称ショウとして、この療養所の個室にいた。
(僕)「…またか」
寝返りを打つと、鈍い痛みが腹に響く。ここに来てからもう8年だ。8年間、ほとんど同じ毎日を繰り返している。食事、睡眠、わずかな娯楽。そして、容赦なく押し寄せる孤独。
僕は転生することも出来ず、こうして現世とほとんど変わらないこの場所にいる。医者や看護師たちは、親身になって僕の体調を気遣ってくれる。けれど、彼らの言葉は僕の心には届かない。
(看護師)「ショウさん、おはようございます。今日は少し調子はいかがですか?」
(僕)「…相変わらずです」
(看護師)「頭痛は?腹痛は?」
(僕)「…両方です」
体調不良を言い訳に、僕は誰とも関わろうとしなかった。8年間、個室に引き籠もり、ただ時間だけが過ぎていくのを待っていた。
生前は会社でシステムエンジニアをしていた。仕事はそれなりに充実していたけれど、どこか満たされない気持ちがあった。満たされないものを埋めるように、酒を飲み、タバコを吸い、深夜までネットサーフィンをする日々。そして、あの出来事が起きた。
あの時、僕は死んだら楽になれると思っていた。けれど、死後の世界には死後の世界なりの苦しみがある。それは、死にたくても死ねないという残酷な事実だった。
ある日、いつものようにベッドに横たわっていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
(僕)「…どうぞ」
ドアが開き、一人の女性が入ってきた。彼女は成香といった。目が大きく、少し憂いを帯びた表情をしている。
(成香)「こんにちは、ショウさん。少しお邪魔してもいいかしら?」
(僕)「…どうぞ」
成香はベッドの脇に置かれた椅子に腰かけた。そして、僕の顔をじっと見つめてきた。
(成香)「あなた、とても辛そうな顔をしているわね」
(僕)「…そうかもしれません」
(成香)「何か悩みがあるの?」
(僕)「…たくさんありすぎて、何から話せばいいのかわかりません」
成香は優しく微笑んだ。「無理に話さなくてもいいのよ。ただ、私はあなたのそばにいるわ」
成香はそれから毎日、僕の部屋にやってくるようになった。他愛もない話から、少しずつ自分の過去について語るようになった。
(成香)「私はね、生前は看護師をしていたの。毎日たくさんの患者さんを見て、たくさんの命と向き合ってきた。でも、どうしても救えなかった命もあったわ」
(僕)「…」
(成香)「私は自分の無力さを感じて、いつも苦しんでいた。そして、ある日、事故に遭って死んでしまったの」
(僕)「…」
(成香)「最初は私も受容することができなかった。なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか、ずっと恨んでいたわ。でも、時間が経つにつれて、少しずつ気持ちが整理されていったの。そして、今はこうして誰かの役に立てていることが嬉しい」
成香の話を聞いていると、僕の心にも少しずつ光が差し込んできた。彼女の優しさに触れるうちに、僕は少しずつ自分の殻を破ろうとし始めた。
(僕)「…実は、僕も人に言えない過去があるんです」
(成香)「話せる範囲でいいから、聞かせてくれる?」
僕は震える声で、自分の死因について語り始めた。それは、あまりにも悲惨な出来事だった。
(僕)「…僕は、焼身自殺をしたんです」
(成香)「…!」
(僕)「長年、妻からひどい虐待を受けていました。毎日、言葉の暴力や、時には身体的な暴力にも晒されていました。何度も逃げようとしたけれど、息子のことを考えると、どうしてもできなかった。息子を置いていくことなんて、できなかったんです」
(成香)「…辛かったわね」
(僕)「ある日、もう耐えられなくなってしまった。そして、僕はガソリンを被り、火をつけたんです」
(成香)「…」
(僕)「燃え盛る炎の中で、僕は意識を失いました。次に気が付いた時には、ここにいたんです」
(成香)「…自分を責めないで。あなたは精一杯生きてきたんだから」
(僕)「…でも、僕は息子を置いて死んでしまった。あの子は今、どうしているんだろう。ちゃんと生きているんだろうか」
成香は僕の手を握った。「きっと大丈夫よ。あなたの息子さんは、きっと立派に成長しているわ」
その日から、僕は少しずつ変わっていった。成香の励ましのおかげで、8年間出なかった療養所の個室から外に出るようになった。療養所の庭を散歩したり、他の患者さんと話したりするようになった。
ある日、庭で他の患者さんと将棋を指していると、看護師が駆け寄ってきた。
(看護師)「ショウさん、大変です!ショウさんの息子さんが…!」
(僕)「息子が…?一体何があったんですか?」
(看護師)「息子さんが、ショウさんの後を追おうとしているんです!今すぐ止めないと…!」
僕は信じられない思いで看護師に問い詰めた。息子が後を追おうとしている?一体どういうことだ?
看護師は息を切らしながら説明した。「息子さんは、お父さんの死を知ってからずっと苦しんでいたようです。最近、息子さんの様子がおかしいことに気が付いた人が、もしかしたら自殺しようとしているかもしれないと知らせてくれたんです!」
僕はいてもたってもいられなかった。急いで部屋に戻り、息子に呼びかける方法を探した。
(僕)「…息子、聞こえるか?僕の声が聞こえるか?」
何も聞こえない。焦りが募るばかりだ。僕は必死に念じた。どうか、息子のところに僕の思いが届いてほしい。
その時、かすかに声が聞こえた気がした。
(幻聴)「…父さん?」
(僕)「息子!僕だ!生きろ!死ぬな!お前には未来があるんだ!父さんは、お前が生きていてくれるだけで嬉しいんだ!」
僕は声を限りに叫んだ。そして、そのまま意識を失った。
どれくらいの時間が経っただろうか。気が付くと、僕は自分の部屋のベッドに横たわっていた。成香が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
(成香)「ショウさん、大丈夫?」
(僕)「…息子は…?息子は大丈夫なのか?」
(成香)「ええ、大丈夫よ。連絡がありましたが、息子さんは自殺を思いとどまったそうです。ショウさんの声が聞こえた気がした、と言っていました」
僕は涙が止まらなかった。息子は生きていてくれた。それだけで十分だった。
(僕)「…ありがとう、成香。あなたのおかげで、僕は過去受容し、自分自身を受容することができた」
(成香)「いいのよ。私が助けられたのは、ショウさんの勇気があったからこそよ」
僕は深く息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと立ち上がった。窓から差し込む光が、僕の顔を照らしていた。
(僕)「…僕は、これからを生きていく。息子のために、そして自分のために」