永遠の黄昏:贖罪のセラピー

Drama 21 to 35 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

療養所の白い天井を見つめながら、僕はため息をついた。EPR97809、それが僕に割り振られた識別番号だ。ショウ、それが僕の名前だったはずだ。もう8年も、この息苦しい個室に閉じこもっている。
生きていた時は、会社と家を往復するだけの退屈な毎日だった。でも、死んだら楽になると思っていたのは甘かった。ここは現世とほとんど変わらない。いや、ある意味もっと残酷だ。なぜなら、死にたくても死ねないから。
毎日、決まった時間に食事が出てくる。他の患者たちとの交流はほとんどない。頭痛、腹痛、軽い下痢。いつもの体調不良を理由に、僕は誰とも話さなかった。話したくなかった。
きっかけは些細なことだった。昼食の時間、廊下ですれ違った女性が、僕を見て微笑んだ。成香、彼女はそう名乗った。
「いつも部屋に籠ってるわね。大丈夫?」
僕は無視しようとした。でも、彼女の目は優しかった。どこか懐かしい、温かい光が宿っていた。
「体調が悪いんです」と、僕はぼそっと呟いた。
「そうね。でも、ずっと閉じこもっているのは良くないわ。たまには外に出て、空気でも吸ったら?」
僕は首を横に振った。「無理です」
「無理じゃないわ。ただ、怖がっているだけよ」
その言葉が、僕の心の奥底に突き刺さった。怖がっている…確かにそうだった。僕は、自分が死んだ事を受け入れられずにいたのだ。
それから、成香は毎日、僕の部屋にやってきた。彼女は、自分の死後の体験や、療養所の出来事を話してくれた。最初は鬱陶しかったが、次第に彼女の言葉に耳を傾けるようになった。
ある日、僕は勇気を振り絞って、彼女に尋ねた。「なぜ、僕に構うんですか?」
成香は微笑んだ。「理由はわからないわ。ただ、あなたを見ていると、昔の自分を見ているような気がするの」
彼女も、何か深い傷を抱えているのだろうか。僕はそう思った。
数週間後、僕は成香に誘われて、初めて個室から外に出た。療養所の庭は、思いのほか広かった。色とりどりの花が咲き乱れ、穏やかな風が頬を撫でた。
太陽の光を浴びるのは、何年ぶりだろうか。僕は深呼吸をした。胸の中に、微かな希望の光が灯った気がした。
「どう?気分は?」成香が隣で微笑んでいる。
「少し、楽になった気がします」僕は正直に答えた。
成香は僕を庭の一角にあるベンチに案内した。そこで、彼女は静かに語り始めた。
「私もね、最初はこの世界を受け入れられなかったの。自分の死因が受け入れられなくて…」
僕は息を呑んだ。彼女にも、辛い過去があるのだろうか。
「私はね、病気で死んだの。長い間、病魔と闘った末に…でも、最後まで諦められなかった。生きたかった。だから、を受け入れるのに、時間がかかったわ」
僕は彼女の言葉に、深く共感した。僕も、を受け入れられない理由があった。それは、僕の死因…。
「あなたは、どうして死んだの?」成香が僕を見た。その瞳は、真剣だった。
僕は言葉を詰まらせた。思い出したくなかった。目を背けたかった。でも、彼女の視線から逃れることはできなかった。
「言いたくないなら、無理に言わなくてもいいのよ」
僕は深く息を吸い込み、覚悟を決めた。全てを話す覚悟を。
「僕は…焼身自殺しました」
成香は何も言わなかった。ただ、静かに僕の話を聞いていた。
僕は、自分の過去を語り始めた。会社でのストレス、借金、そして…妻からの虐待
「妻は、僕をいつも罵倒していました。無能だ、役立たずだ、生きてる価値がない…毎日、そんな言葉を浴びせられて、僕は ধীরে ধীরে精神的に追い詰められていきました」
「ある日、僕はとうとう我慢できなくなって…灯油をかぶり、火をつけました。息子を、残して…」
僕は涙を流しながら、語った。後悔、罪悪感、絶望…あらゆる感情が、僕の胸の中で渦巻いていた。
「ごめんなさい、成香さん。こんな話をして、嫌な思いをさせてしまいましたね」
成香は僕の肩に手を置いた。「そんなことないわ。辛かったわね…よく話してくれたわ」
それから、僕たちはしばらく無言で庭に座っていた。風が、木々の葉を揺らす音だけが、静かに響いていた。
「あの…息子さんは?」成香が尋ねた。
僕は顔を伏せた。「わかりません。僕が死んだ後、どうなったのか…知るのが怖いんです」
「もし、会えたら…どうしたい?」
「謝りたい。ただ、それだけです」
数日後、成香は療養所のカウンセラーを紹介してくれた。カウンセラーは、僕の過去と向き合い、を受け入れるためのセラピーを勧めてくれた。
最初は抵抗があった。自分の心の奥底にある、暗い部分を掘り起こすのが怖かったからだ。でも、成香の励ましもあり、僕はセラピーを受けることにした。
セラピーは辛かった。過去のトラウマと向き合い、感情を吐き出すたびに、激しい頭痛や吐き気に襲われた。
しかし、徐々に、僕は心の重荷を下ろせるようになっていった。罪悪感を手放し、自分を許すことができるようになっていった。
ある日、カウンセラーは僕に言った。「あなたは、もう過去に囚われる必要はありません。これからは、自分のために生きればいいんです」
その言葉を聞いて、僕は初めて、希望というものを感じた。
セラピーを続けていくうちに、体調も徐々に回復していった。頭痛や腹痛は減り、下痢もほとんどなくなった。個室に引き籠ることもなくなり、積極的に他の患者たちと交流するようになった。
療養所での生活は、少しずつ、僕にとって意味のあるものになっていった。
ある夜、僕は眠れずに庭を散歩していた。月明かりが、地面を照らしていた。その時、ふと、あることに気づいた。
僕の胸の中に、息子への愛情が残っていることに。たとえ死後の世界にいても、親としての責任は、終わらない。
僕は決意した。息子に、会いたい。息子に、謝りたい。そして、息子が幸せに生きてくれることを、見届けたい。
しかし、そのためには、乗り越えなければならない壁があった。現実世界と死後の世界は、隔絶されている。僕が息子の元へ行くことは、容易ではない。
僕は、成香に相談した。彼女は、真剣に僕の話を聞き、こう言った。
「方法はあるわ。でも、それは非常に危険な賭けよ。成功する可能性は、極めて低いかもしれない」
「構いません。たとえどんな危険があっても、僕は息子に会いたいんです」
成香は、療養所の図書館で、死後の世界に関する禁書を探し出した。その本には、死者が現実世界に干渉するための方法が記されていた。
その方法とは、自分の強い思いを込めたエネルギーを、現実世界に送り込むというものだった。しかし、そのエネルギーは、非常に不安定で、現実世界に大きな影響を与える可能性があった。
「失敗すれば、あなたの魂は消滅してしまうかもしれないわ。それでも、やるの?」
「はい。それでも、僕は息子に会いたいんです」
準備には時間がかかった。僕は毎日、瞑想を行い、自分の意識を高めた。成香は、僕がエネルギーを制御できるように、手伝ってくれた。
ついに、決行の日がやってきた。療養所の奥にある、古びた祭壇の前で、僕は深呼吸をした。成香が、僕の隣で祈っている。
僕は、意識を集中させた。息子への強い思いを込めて、エネルギーを体中に満たしていく。体中が、熱く燃え上がるようだった。
「死ぬな…!生きてくれ…!」
その瞬間、僕の体から、強烈な光が放たれた。光は、現実世界へと向かって、まっすぐに飛んでいった…。
死因:長年の妻からの虐待により自分は息子を残したまま焼身自殺