灰色のリハビリテーション

Drama 21 to 35 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

気がつけば、僕は白い天井を見上げていた。ここはどこだ?いや、それよりも、僕は… 死んだ のか?
見慣れない景色。漂う消毒液の匂い。そして、妙に軽い体。全てが現実離れしていた。とある出来事から、僕は死後の世界にいた。
転生?天国?地獄?そんな言葉が頭をよぎったけれど、目の前に現れたのは、白衣を着た事務的な表情の女性だった。
「EPR97809様、ようこそ、療養所へ。あなたは転生なさらず、こちらでしばらく過ごされることになりました」
療養所?まるで生きている世界と変わらないじゃないか。拍子抜けするやら、落胆するやら…。
療養所での生活は、予想以上に退屈だった。いや、正確には、退屈『だった』という過去形になるのだろう。
規則正しい食事、決まった時間に始まるカウンセリング、娯楽室には古びたゲーム機と漫画。何もかもが生前の世界のコピーのようだった。
「…本当に死んだのか?」僕は何度も自問自答した。胸には空虚な穴が開き、満たされることはなかった。
生前、僕は孤独だった。死後の世界でも、それは変わらなかった。いや、むしろ、悪化したと言えるかもしれない。
周りの人々は、それぞれ過去に未練を残していたり、罪悪感に苛まれていたり、様々な感情を抱えながら生きていた(…いや、死んでいた)
僕は、そんな彼らと積極的に関わろうとしなかった。心の奥底に、巨大な壁を築き上げて、誰にも近づかせないようにしていた。
そして、療養所に到着してから8年の月日が流れた。その間、僕は一歩も自分の部屋から出なかった。
食事は部屋まで運ばれ、カウンセリングはオンラインで行われた。まるで、現実世界で引きこもっていた頃と何も変わらない。
ある日、ノックの音が聞こえた。無視しようと思ったけれど、しつこくドアを叩く音が止まらない。
「…誰だ?」僕はぶっきらぼうに尋ねた。
「成香です。少しだけ、お話しませんか?」
成香?初めて聞く名前だった。でも、何故か、その声に拒否する気になれなかった。
恐る恐るドアを開けると、そこに立っていたのは、ショートカットがよく似合う、明るい笑顔の女性だった。
「こんにちは、EPR97809さん。あなたのこと、ずっと気になっていたんです」
「…なぜ?」
「だって、いつも部屋に閉じこもっているんですもの。寂しいじゃないですか」
寂しい…そんな感情、もう忘れてしまっていた。
成香は、それから毎日、僕の部屋を訪れるようになった。無理に話しかけることはなく、ただ、静かに寄り添ってくれる。
時には、本を読んだり、音楽を聴いたり、ただ、ぼーっと窓の外を眺めたり。そんな、何気ない時間が、僕の心を少しずつ溶かしていった。
ある日、意を決して、僕は成香に話しかけた。
「…なぜ、僕に構うんだ?」
「だって、友達になりたいんですもの」
友達…そんな言葉、何年ぶりに聞いただろうか。
成香は、僕に、死後の世界での新しい価値観を教えてくれた。死んだから終わりではなく、新しい始まりがあるのかもしれない、と。
彼女と出会ってから、僕は少しずつ変わっていった。部屋から出て、他の患者さんと話をするようになった。
最初はぎこちなかったけれど、徐々に、彼らの抱える苦しみや悲しみに寄り添えるようになっていった。
そして、僕は、自分が死んだ事を、少しずつ受容し始めた。
ある夜、成香と2人で屋上にいた。満天の星空が、僕たちを優しく包み込んでいた。
「ねえ、EPR97809さんは、どうして死んでしまったんですか?」
その質問に、僕は言葉を詰まらせた。心の奥底に押し込めていた、苦い記憶が蘇ってくる。
僕は、幼い息子を残して、焼身自殺したのだ。
当時の僕は、仕事も人間関係も上手くいかず、絶望の淵に立っていた。全てから逃げ出したくて、死を選ぶという、愚かな決断をしてしまった。
「…ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまって」
「ううん、大丈夫だよ。もう、向き合わないといけないと思っていたから」
僕は、死因について、少しずつ、成香に語り始めた。息子を残して死んでしまったこと、今でも後悔していること…。
成香は、僕の言葉を静かに聞き、最後にこう言った。
「あなたは、間違ったことをしてしまったかもしれない。でも、あなたは、償うことができる。今からでも」
償う…どうやって?死んだ僕に、何ができるのだろうか?
「息子さんに、あなたの思いを伝えてください。彼が、あなたと同じ道を歩まないように」
息子…そうか、僕は、息子に何も伝えずに死んでしまったんだ。
僕は、それから毎日、息子のことを考えていた。今、彼はどうしているだろうか?ちゃんとご飯を食べているだろうか?寂しい思いをしていないだろうか?
ある日、療養所の職員が、僕の元にやってきた。
「EPR97809様、あなたのご子息が、療養所にいらっしゃいました」
息子?現実世界の息子が、死後の世界に?まさか…。
急いで面会室に向かうと、そこに立っていたのは、大人になった息子の姿だった。
「父さん…」
「〇〇…(息子の名前)」
再会を喜び合った後、息子は、沈痛な面持ちで話し始めた。
「父さんが死んでから、僕は、ずっと父さんのことを恨んでいました。なぜ、僕を置いて死んでしまったんだ、と」
「ごめん…本当にごめん」
「でも、今は違います。父さんの気持ちが、少しだけわかった気がします」
息子は、僕と同じように、人生に絶望し、後追い自殺を考えていたのだ。
「父さんのように、死んで楽になりたいと思っていました。でも、死んだら、父さんに会えるんじゃないかと思って…」
それを聞いた瞬間、僕は、激しい後悔の念に襲われた。僕は、自分のせいで、息子まで死に追いやろうとしていたのだ。
「だめだ!〇〇!死ぬな!絶対に死ぬな!」僕は、必死に叫んだ。
しかし、死後の世界と現実世界の間には、越えられない壁がある。僕の声は、息子に届かない。
その時、僕は、無意識のうちに、自分の持てる全ての力を込めて、叫んでいた。
死ぬな!〇〇!お前には、まだ未来がある!生きて、生きて、生き抜いてくれ!」
次の瞬間、息子の姿が消えた。彼は、まだ死ぬべき時ではなかったのだ。
僕は、力が抜け、その場にへたり込んでしまった。そして、とめどなく涙が溢れてきた。
僕は、まだ、償いを終えていない。息子が、この世界に来るその日まで、僕は、ここで生きていかなければならないのだ。
成香が、僕の肩を抱き寄せた。「あなたは、強い人ですね」
「…ありがとう」
僕は、もう二度と、絶望しない。 死後の世界で、息子が来る日を待ちながら、僕は、生きていく(…いや、死んでいく)。