瑠璃色の傷跡

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

舞台は、雨上がりの午後の図書館。窓から差し込む光が、埃っぽい空気の中で細い光の帯を作っている。
奥の席で、少女、蒼井 凛(あおい りん)は難しい顔をして数学の教科書を睨んでいた。鉛筆の先が紙を叩く音が、静かな図書館に小さく響く。
(凛の心の声)「…どうして、こんな問題が解けないんだろう。私は、あの子の役に立ちたいのに…。」
凛は、隣の席に目をやった。そこには、深沢 湊(ふかさわ みなと)が目を閉じて座っている。色素の薄い髪と、陶器のような白い肌が、儚げな雰囲気を醸し出していた。
湊は、幼い頃から病弱で、入退院を繰り返していた。そのため、学校にはあまり通えず、数学をはじめとする学業は大きく遅れていた。
凛は、湊の家庭教師のような役割を買って出ていた。勉強を教えることで、少しでも彼の支えになりたいと強く願っていた。
しかし、凛は、自分の数学の能力に限界を感じ始めていた。湊に教えるための十分な知識がないのではないか、と不安に苛まれていたのだ。
その時、凛の携帯電話が震えた。画面には、「湊」という名前が表示されている。
「…もしもし、湊?」
電話の向こうから、弱々しい湊の声が聞こえてきた。「凛…ごめん、また体調が悪くなっちゃって…。今日、会えるかな…?」
凛は、迷わず答えた。「うん、すぐに行く。」
図書館を飛び出し、凛は湊の家へと急いだ。雨上がりの空は、深い瑠璃色に染まっていた。
湊の家に着くと、彼はベッドに横になっていた。青白い顔をして、苦しそうに息をしている。
「ごめんね、凛。いつも迷惑かけて…」
凛は、湊の手を握りしめた。「そんなことないよ。私は、湊の役に立てて嬉しいんだから。」
その日から、凛は毎日湊の家を訪れた。勉強を教えたり、本を読んだり、他愛のない話をしたり…。
凛は、湊のそばにいる時間が、何よりも大切だと感じていた。彼の笑顔を見ていると、自分の存在意義を見出せる気がした。
しかし、凛の心には、別の感情も芽生え始めていた。それは、恋愛感情なのか、それとも単なる依存なのか…。
ある日、凛は湊に勉強を教えていた。数学の問題につまずき、苛立ちを隠せない湊に、凛は優しく寄り添った。
「湊、焦らないで。ゆっくり考えれば大丈夫だから。」
湊は、顔を上げ、凛の目をじっと見つめた。「凛は、どうしていつも僕にこんなに優しくしてくれるの…?」
凛は、戸惑った。「…それは…、湊のことが大切だから…。」
湊は、さらに凛に問い詰めた。「大切って…、どんな意味で…?」
凛は、自分の気持ちに正直になることにした。「…それは…、湊のことを…、好きだから…。」
湊は、驚いた表情を浮かべた。「…僕のことを…、恋愛対象として…?」
凛は、俯いた。「…うん…、多分…。でも…、違うのかもしれない…。私は、ただ、湊のそばにいたいだけなのかも…。」
湊は、凛の手を握った。「凛…。僕も、凛のことが大切だよ。でも…、僕の依存心に、凛を巻き込んでしまっているんじゃないかって、ずっと不安だった…。」
凛は、ハッとした。「依存…?私が…、湊に依存している…?」
湊は、頷いた。「僕たちは、お互いを必要としすぎているのかもしれない。この関係は、歪んでいるのかもしれない…。」
凛は、激しく動揺した。湊の言葉は、彼女の心に突き刺さった。彼女は、自分の気持ちを見失っていたことに気づかされたのだ。
その夜、凛は一人、自室で考え込んだ。彼女は、自分が本当に何を求めているのか、分からなくなっていた。
湊への気持ちは、恋愛なのか、それとも依存なのか。湊の役に立ちたいという気持ちは、自己満足に過ぎないのではないか。
そして、凛は、自分の腕に目をやった。そこには、過去の苦しみを表すかのように、薄い自傷の跡が残っていた。
(凛の心の声)「…私は…、弱い人間なんだ…。誰かに必要とされないと、生きていけない…。」
凛は、過去のトラウマに苦しんでいた。幼い頃に両親を事故で亡くし、孤独の中で生きてきた彼女は、誰かに必要とされることを強く求めていた。
湊は、そんな凛にとって、唯一の心の支えだった。しかし、湊への依存は、彼女自身を蝕んでいることに、彼女は気づいていなかった。
次の日、凛は湊に会うのをためらった。彼女は、自分の気持ちと向き合う必要があると感じていた。
しかし、湊から電話がかかってきた。「凛…、来てくれないかな…。今日は、どうしても君に会いたいんだ…。」
凛は、結局、湊の家を訪れた。彼の弱々しい声を聞くと、どうしても拒否することができなかった。
湊の家に着くと、彼はリビングで待っていた。昨日よりも少し元気そうに見えた。
「凛、来てくれてありがとう。」
凛は、ぎこちなく答えた。「…どういたしまして…。」
湊は、凛をソファに促した。「あのね、凛。昨日、君と話してから、いろいろ考えたんだ。」
凛は、緊張した面持ちで、湊の言葉を待った。
「僕たちは、確かに依存しすぎているのかもしれない。でも…、それは、悪いことばかりじゃないと思うんだ。」
凛は、首を傾げた。「どういうこと…?」
湊は、続けた。「僕たちは、お互いを必要としている。それは、紛れもない事実だ。そして、その必要性は、僕たちを成長させてくれる力にもなるんだ。」
「凛は、僕の数学を教えてくれることで、自分の知識を深めている。僕は、凛の優しさに触れることで、生きる力を得ている。僕たちは、お互いを与え合っているんだ。」
凛は、湊の言葉に、少しだけ希望を見出した。「…でも…、この関係は、やっぱり歪んでいるんじゃない…?」
湊は、首を横に振った。「歪んでいるかどうかは、僕たちが決めることだ。お互いを尊重し、依存しすぎないように気をつければ、きっと大丈夫だよ。」
「それに…、凛。君が僕のことを好きだと言ってくれたこと、とても嬉しかった。僕も…、君のことが…」
湊は、言いかけた言葉を飲み込んだ。「…大切だよ。これからも、一緒にいたい。」
凛は、涙をこらえながら、頷いた。「…うん…、私も…。」
凛と湊は、お互いの手を取り合った。その手は、まだ震えていたが、確かな温もりを伝えていた。
二人は、自分たちの関係が、恋愛なのか依存なのか、まだ確信を持てなかった。しかし、お互いを必要とし、支え合っていくことを決意した。
数日後、凛は図書館で数学の問題を解いていた。以前よりも、少しだけ自信が持てるようになっていた。
湊のために、そして何よりも、自分のために、彼女は学び続けた。
その時、一人の男の子が、凛に声をかけた。「すみません、この問題、教えてもらえませんか?」
凛は、笑顔で答えた。「はい、いいですよ。」
新しい出会いが、凛の人生に新たな光をもたらした。彼女は、依存の連鎖を断ち切り、自分の足で歩き始めた。
凛は、まだ過去の傷を抱えていた。しかし、湊との出会いを通して、彼女は少しずつ成長していた。そして、いつか、その瑠璃色の傷跡が、美しい思い出に変わることを信じていた。
凛と湊は、これからも、お互いを支え合いながら、それぞれの道を歩んでいくのだろう。それは、甘くて、少し苦い、青春の物語。
物語はまだ始まったばかり。そして、二人の未来は、まだ瑠璃色の光に包まれている。