硝子越しの向日葵

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

夏の終わり、夕焼けが校舎の窓ガラスを茜色に染めていた。屋上の隅、フェンスにもたれ掛かり、蒼井悠真は静かに煙草を吸っていた。17歳、どこにでもいる高校生に見えるかもしれない。けれど、彼の内側はいつも嵐が吹き荒れていた。
「また、ここにいるのね、悠真」
背後から優しく声をかけられ、悠真は肩を竦めた。声の主はクラスメイトの藤宮莉子。透き通るような白い肌、大きな瞳が印象的な少女だ。
「莉子…」
莉子は悠真の隣に歩み寄り、フェンスに寄りかかった。夕焼けが二人の横顔を照らす。
「煙草、体に悪いわよ」
「分かってる」
莉子は溜息をつき、悠真を見つめた。「最近、また酷くなってるみたいね…自傷の跡」
悠真は無言で煙草を吸い続けた。リストカットの跡は、リストバンドで隠されているが、莉子にはお見通しだった。
「…心配してるんだよ、悠真のこと」
悠真は顔を歪めた。「心配なんて…要らない。どうせ、俺なんか」
「そんなこと言わないで!悠真は…私の大切な友達なんだから」
悠真は嘲笑した。「友達…ね。お人好しにも程があるよ。俺みたいなやつと友達でいるなんて、時間の無駄だ」
「時間の無駄じゃない!悠真は…もっと自分の価値に気付くべきだわ」
莉子はそう言うと、悠真の腕から煙草を奪い、足で踏み消した。
「もう煙草は吸わないで。お願い」
悠真は怒りのこもった目で莉子を睨んだ。「…うざい。ほっといてくれ」
「嫌よ。悠真を見捨てることなんて、絶対にできない」
二人はしばらく無言で見つめ合った。夕焼けは次第に薄れ、辺りは薄暗くなっていく。
悠真は顔を背けた。「…帰る」
莉子は背を向けて歩き出す悠真を追いかけた。「ねえ、悠真!」
悠真は足を止めた。「なんだよ」
「明日…一緒に帰らない?」
悠真は一瞬驚いたような顔をした。そして、すぐにいつもの冷たい表情に戻った。「…勝手にしろ」
莉子は嬉しそうに微笑んだ。「約束よ!」
翌日、悠真は珍しく遅刻せずに学校に来た。授業中も上の空で、莉子のことばかり考えていた。彼女は一体、何を考えているのだろうか。なぜ、自分にこんなにも構うのだろうか。自分は依存するだけの価値がある人間なのだろうか。
放課後、悠真はいつものように屋上に向かおうとしたが、莉子が待っていた。
「悠真!一緒に帰ろう!」
莉子の笑顔に、悠真は戸惑った。断る理由も見つからず、結局、二人で一緒に帰ることにした。
帰り道、二人は特に会話もせず、ただ黙々と歩いた。悠真は気まずさを感じていたが、莉子は楽しそうに鼻歌を歌っていた。
しばらく歩くと、二人は小さな公園に差し掛かった。莉子は突然立ち止まり、「ちょっと休憩しよう!」と言った。
悠真は仕方なく莉子に付き合い、公園のベンチに座った。
「ねえ、悠真」
莉子は真剣な顔で悠真を見つめた。「どうして、そんなに自傷するの?」
悠真は目を逸らした。「…別に。理由なんてない」
「嘘だ。何か辛いことがあるんでしょう?」
悠真は沈黙を守った。莉子は優しく悠真の手を取り、「話してみて。私に話せることなら、何でも聞くから」と言った。
悠真は、今まで誰にも打ち明けられなかった自分の過去を、少しずつ語り始めた。両親の離婚、母親からの虐待、学校でのいじめ…。
莉子は静かに悠真の話を聞いていた。時折、涙を浮かべながら、悠真の手を握りしめた。
悠真は話し終えると、スッキリしたような、それでいて、恥ずかしいような、複雑な気持ちになった。
「…ありがとう、莉子。話せて、少し楽になった」
莉子は悠真の頬に手を添え、優しく微笑んだ。「もう、一人で抱え込まないで。私はいつも、悠真の味方だから」
その時、悠真は初めて、莉子に恋愛感情を抱いていることに気付いた。しかし、それは恋愛なのだろうか。それともただの依存なのだろうか…初めて会った時からずっと分からなかった。
悠真は莉子の顔を見つめた。彼女の瞳には、優しさと心配の色が滲んでいた。
「…莉子」
悠真は何か言おうとしたが、言葉が見つからなかった。代わりに、莉子の手を強く握りしめた。
それから、二人は毎日一緒に学校に通い、一緒に帰るようになった。悠真は少しずつ、自傷行為を止めるように努力し、莉子との時間が増えるにつれて、笑顔を見せることも多くなった。
しかし、悠真の過去は、そう簡単に消えるものではなかった。ある日、悠真は昔のいじめっ子たちに絡まれ、暴力を振るわれた。
心身共に傷付いた悠真は、再び自傷行為に走ってしまった。莉子は、悠真の腕の傷跡を見て、深く心を痛めた。
「悠真…どうして?」
悠真は俯いた。「…ごめん。もう、自分をコントロールできないんだ」
莉子は悠真を抱きしめた。「そんなことない。悠真なら、きっと乗り越えられる。私が一緒にいるから」
莉子の言葉に、悠真は涙を流した。彼は、莉子を失うことを恐れていた。彼女は、自分にとって、かけがえのない存在になっていたからだ。
悠真は、莉子のためにも、絶対に変わらなければならないと思った。彼は、カウンセリングに通い始め、自分の過去と向き合うことにした。
カウンセリングを受けるにつれて、悠真は少しずつ、自分の心と向き合えるようになっていった。彼は、自分の弱さを認め、他人に頼ることを学んだ。
そして、莉子との関係も、少しずつ変化していった。二人は、お互いを支え合い、励まし合う、かけがえのない存在になっていった。
ある日、悠真は莉子に告白した。「莉子のことが好きだ。ずっと、一緒にいたい」
莉子は嬉しそうに微笑み、「私も、悠真のことが好きだよ」と答えた。
二人は恋人になった。しかし、彼らの関係は、決して順風満帆ではなかった。悠真の過去のトラウマは、時折、二人の関係を脅かした。
それでも、二人は互いを愛し、支え合い、困難を乗り越えていった。そして、いつの日か、二人は互いの傷を癒し、共に未来を歩んでいくことを誓った。
数年後、悠真は大学を卒業し、莉子と共に新しい生活を始めた。彼は、カウンセラーとして、かつての自分のような苦しみを持つ人々を救うことを決意した。
莉子は、小学校の教師として、子供たちの成長を支えることを生きがいとしていた。
二人は、お互いを支え合い、愛し合い、幸せな日々を送っている。あの頃の依存し合った日々は、恋愛へと変わり、そして二人は依存関係から抜け出した。
屋上の向日葵は、硝子越しでも太陽に向かって力強く咲いている。過去の傷を抱えながらも、二人は、互いを照らし合い、未来へと歩んでいくのだ。