Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
雨音が静かに響く、灰色のキャンパス。カバンを抱え、足早に講義室へと向かう悠真(ユウマ)の表情は、いつもどこか陰りを帯びていた。数学科の講義は彼にとって安らぎの場所であるはずだったが、最近はそれすらも重く感じていた。
ドアを開けると、最前列に見慣れた顔があった。透き通るような白い肌、吸い込まれそうなほど大きな瞳。美月(ミヅキ)だ。彼女の姿を見つけると、悠真の胸は小さく跳ね上がった。
美月は、いつも悠真の一歩先を行く存在だった。授業の理解度、課題の完成度、そしてその圧倒的な美しさ。悠真は、そんな彼女に強く依存していた。彼女がそばにいるだけで、自分の存在意義を感じることができたから。
「おはよう、悠真。」美月は、にっこりと微笑みかけた。その笑顔に、悠真の心は一瞬、明るくなる。「おはよう。」彼はぎこちなく答えた。その声は、いつものように小さく震えていた。
講義が始まった。教授が黒板に数式を書き連ねる。悠真は必死にノートを取るが、頭の中は美月のことでいっぱいだった。彼女の横顔を盗み見ながら、恋愛という感情なのか、それとも単なる依存なのか、わからなくなる。
(これは恋愛なんだろうか…? それともただ、彼女に依存しているだけなのか…?)悠真は自問自答した。初めて美月と会った日、彼は友人関係をひどく恐れていた。かつて親友との関係を極度の依存に変えてしまい、結果、その親友は彼の元を去っていったからだ。
あの時の苦い記憶が蘇る。裏切られたという感情、そして自己嫌悪。それ以来、彼は他人との深い関わりを避けるようになった。しかし、美月は違った。彼女は、優しく、そして時に厳しく、彼の閉ざされた心に寄り添ってくれた。
講義後、悠真は美月をカフェに誘った。「ねえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
「僕…、君のこと、どう思ってるんだろう。」悠真は、勇気を振り絞って言った。「恋愛なのかな? それとも、ただ依存しているだけ…?」
美月は、少し驚いた表情を浮かべた。「悠真は、本当に正直だね。」彼女は、少し間を置いてから言った。「私は…、悠真のことを、大切な友達だと思ってる。」
その言葉に、悠真の心臓は一気に冷たくなった。やはり、ただの依存だったのか。彼の期待は、脆くも崩れ去った。
カフェを出て、一人で雨の中を歩く。足元は泥だらけで、心が沈んでいくのを感じた。自分が無価値な存在であるように思えて、衝動的にカッターナイフを取り出した。手首にそれを押し当て、赤い線が浮かび上がるのを見つめた。 自傷行為は、彼にとっての一種の儀式だった。痛みが、生きている実感を与えてくれた。
数日後、大学内で昔の親友、健太(ケンタ)と偶然再会した。以前はいつも一緒に笑っていた親友は、今の悠真を冷たい目で見つめる。
「お前…、まだそんなことしてるのか。」健太は、吐き捨てるように言った。「お前のせいで、俺の人生はめちゃくちゃになったんだ。」
健太の言葉は、悠真の胸に突き刺さった。彼は、あの時の依存が、健太の人生を狂わせてしまったことを、今更ながらに痛感した。
その夜、悠真は自分の部屋で一人、過去の罪と向き合った。そして、再びカッターナイフを手にした。しかし、今回は違った。彼は、自傷行為をやめる決意をしたのだ。
翌日、悠真は美月に電話をした。「話したいことがあるんだ。」彼は、震える声で言った。
美月は、すぐに悠真の元に駆けつけた。「どうしたの、悠真? すごく辛そうね。」
悠真は、過去の依存と自傷行為について、すべてを美月に打ち明けた。美月は、何も言わずにただ、悠真の話を聞いていた。
話し終えた悠真は、疲労困憊していた。「ごめんね、こんな話を聞かせて。」彼は、うつむいた。
美月は、悠真の肩にそっと手を置いた。「悠真は、本当に苦しかったんだね。でも、もう大丈夫だよ。私がそばにいるから。」
美月の言葉に、悠真の目から涙が溢れた。彼は、初めて他人の温かさに触れた気がした。それは、まるで氷が溶けていくような、温かい感情だった。
悠真は、美月の助けを借りながら、少しずつ前進し始めた。カウンセリングに通い、自分の心の闇と向き合い、過去の罪を償うために努力した。
数ヶ月後、悠真は大学の講義室で健太と再会した。しかし、今回は違った。健太の表情は以前ほど険しくなく、どこか疲れているようだった。
「あのさ…、あの時は、本当にごめん。」健太は、気まずそうに言った。「俺も、色々とあって…。」
「いいんだ。」悠真は、穏やかに言った。「僕も、悪かった。」
「実は…、俺もカウンセリングに通ってるんだ。」健太は、照れくさそうに言った。
二人は、しばらく無言で顔を見合わせた。そして、かすかに笑い合った。それは、過去の過ちを乗り越え、新たな一歩を踏み出すための、小さな合図だった。
数年後、悠真は数学者として、国際的な学会で発表していた。かつての暗い影はなく、彼の瞳は希望に満ち溢れていた。隣には、いつも美月が寄り添っていた。
かつて極度の依存によって人間関係を恐れていた少年は、多くの困難を乗り越え、恋愛という感情を知り、成長した。そして、過去の過ちを糧に、未来へと羽ばたいていく。
カウンセリングの待合室で、偶然再会した悠真と健太。ぎこちないながらも言葉を交わし、過去のわだかまりを少しずつ解消していく。
旧友となった健太は、当時を振り返り後悔の念に苛まれていた。 依存という歪んだ感情は、互いを傷つけ、未来を奪った。彼は、カウンセリングを受けながら、自身の心の闇と向き合っていた。
(あとがき – 健太の視点)
あの頃の俺は、本当に未熟だった。依存という感情に振り回され、大切な友情を壊してしまった。悠真を責めたのは、自分の弱さを認めたくなかったからだ。今なら、もっと違うやり方があったはずだとわかる。でも、時間は戻らない。せめて、これからは互いに支え合い、未来を共に歩んでいきたい。
カウンセリングの待合室で偶然再会した悠真は、以前よりもずっと穏やかな表情をしていた。彼もまた、過去の傷を乗り越え、前に進んでいるのだと感じた。俺も、悠真に追いつけるように、頑張らなくては。