虚数のリアル

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

高校二年生の秋、数学オリンピックの予選会場は独特の緊張感に包まれていた。僕、悠斗(ゆうと)は、吐き気を催すほど緊張していた。
数列の問題を見た瞬間、頭が真っ白になった。幼い頃から得意だった数学が、今はまるで外国語のように僕を拒絶している。
僕は深呼吸を繰り返し、なんとかペンを握り直した。両親からの期待、塾の先生の厳しい言葉、そして何よりも、隣にいる恋愛対象である美咲(みさき)の存在が、僕を追い詰めていた。
美咲は、僕の人生における唯一の光だった。彼女に出会うまで、僕は孤独な数学オタクでしかなかった。彼女の笑顔を見るためなら、僕はなんだってできた。
初めて美咲と出会ったのは、中学三年生の時だった。学校の屋上で、一人で数学の問題を解いている僕に、彼女は優しく声をかけてくれた。
「それ、難しい問題だね。教えてあげようか?」
その日から、僕たちの依存関係は始まった。美咲は僕に数学を教え、僕は彼女の悩みを聞いた。僕たちは互いに依存し合い、支え合う存在になった。
しかし、それは健全な関係とは言えなかった。依存は次第に僕の心を蝕んでいった。美咲の期待に応えられない自分に、僕は嫌気がさした。
美咲の「すごいね」という言葉がプレッシャーになった。褒められれば褒められるほど、僕は自分の無力さを痛感した。
僕は数学の勉強に没頭するようになった。少しでも美咲の役に立ちたい、彼女に認められたい一心だった。しかし、勉強すればするほど、僕は数学が嫌いになった。
そして今、数学オリンピックの予選で、僕は完全に打ちのめされた。問題は解けず、時間だけが過ぎていく。僕は、自分の情けなさに涙が止まらなかった。
試験が終わった後、美咲は優しく僕の手を握った。「悠斗、大丈夫だよ。結果なんて気にしないで」
その言葉が、まるで刃物のように僕の心に突き刺さった。僕は大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。僕は、美咲の期待に応えられない自分が許せない。
家に帰ると、僕は自室に閉じこもった。誰もいない部屋で、僕は初めて自傷行為に及んだ。カッターナイフで左腕を切りつけると、痛みと共に罪悪感が押し寄せてきた。
「僕はなんてことをしてしまったんだ…」
翌日、僕は美咲に電話をかけた。「ごめん、しばらく会えないかもしれない」
「どうしたの?何かあったの?」美咲の声は心配そうだった。
「…数学の勉強に集中したいんだ」僕は嘘をついた。
美咲は何も言わずに電話を切った。僕は、彼女を傷つけてしまったことに深く後悔した。
数日後、美咲が僕の家の前に現れた。「話があるの」
僕は渋々玄関を開けた。美咲は、悲しそうな顔で僕を見つめていた。
「悠斗、何か隠してるでしょ? 言ってごらん」
僕は、とうとう自分の気持ちを打ち明けた。美咲に対する依存数学への嫌悪感、そして自傷行為。
美咲は、僕の話を静かに聞いていた。そして、最後にこう言った。「悠斗は、私のために無理をしているんだね」
僕は、ハッとした。そうだった。僕は、ずっと美咲のために生きてきた。自分の気持ちを押し殺して、彼女の期待に応えようとしてきた。
「ごめんね、悠斗。私、全然気づいてなかった」美咲は涙を流した。
僕たちは、互いに依存しすぎていることに気づいた。これからは、自分の足で歩いていく必要がある。
僕たちは、距離を置くことにした。お互いの依存から抜け出すために。
数ヶ月後、僕は新しい目標を見つけた。それは、数学ではなく、自分が本当にやりたいことだった。それは、恋愛小説を書くことだった。
文章を書くことは数学の問題を解くよりもずっと自由で、僕は文章を書くことに没頭した。
僕は自分の恋愛体験を元に、小説を書き始めた。美咲との出会い、依存、別れ、そして新たな希望。それらの感情を文章にぶつけた。
そして、ついに小説が完成した。僕は、それを美咲に読んでもらった。
美咲は、小説を読み終えた後、僕にこう言った。「悠斗の気持ち、伝わってきたよ。本当に素敵な小説だね」
僕は、美咲の言葉に救われた気がした。僕は、彼女に認められたかったわけではない。ただ、自分の気持ちを理解して欲しかっただけだった。
僕たちは、友人として、新たな関係を築き始めた。互いに依存することなく、支え合うことができる、真の友人として。
数年後、僕は恋愛小説家としてデビューした。処女作はベストセラーになり、僕は一躍人気作家になった。
あの頃の数学漬けの日々が嘘のように、僕は文章の世界で自由に羽ばたいている。
今でも、時々数学オリンピックのことを思い出す。あの時の敗北があったからこそ、今の僕があるのだと。
そして、美咲との出会いがなければ、僕は今の僕ではなかっただろう。彼女との出会いは、僕の人生を大きく変えた。
もちろん、二度と自傷行為に及ぶことはない。あの痛みを知っているから。
結局、あの時恋愛なのか依存なのか悩んだのは、きっと両方だったのだろう。未熟だった僕らは、それを区別することができなかった。
今はただ、依存を超えた、大切な友情を育んでいる。それぞれの道を進みながら、時々、近況を報告しあうのだ。