Drama
21 to 35 years old
2000 to 5000 words
Japanese
都心を見下ろす高層マンションの一室。夜景が広がる窓辺に、数学者の卵である高志は立っていた。数式で埋め尽くされたノートパソコンの画面が、彼の顔を青白く照らしている。
「また、徹夜か。」背後から優しく声をかけるのは、恋人の美咲だ。彼女はエプロン姿で、高志のために淹れたコーヒーを差し出した。
「ありがとう、美咲。でも、ちょっと待って。この定理があと少しで証明できるんだ。」高志はコーヒーを受け取りもせず、画面に食いつくように言った。
美咲は少し寂しそうな表情を浮かべた。「無理しないでね。ちゃんと休んでる? 最近、ずっとやつれてるみたい。」
高志は彼女を見ずに答えた。「大丈夫。心配しないで。これも君のためなんだ。」
彼の言葉は、美咲への愛情表現であると同時に、言い訳のようにも聞こえた。高志は、幼い頃から数学に没頭することで、周囲からの期待に応えようとしてきた。その重圧は、常に彼の心を締め付けていた。
美咲との出会いは、高志にとって一筋の光だった。彼女の優しさ、温かさ、無償の愛情は、彼を安堵させた。そして、いつしか高志は、美咲に依存するようになっていった。
二人が初めて会ったのは、数学の研究会だった。美咲は経済学部の学生で、数学の知識が必要だったため、研究会に参加していた。
高志は、一目で彼女に惹かれた。明るく、活発で、誰に対しても分け隔てなく接する彼女の姿は、孤独を抱える彼にとって、眩しい光のように見えた。
美咲もまた、高志に興味を持った。彼は無口で、他人とのコミュニケーションを苦手としていたが、数学の話になると、まるで別人のように熱を帯びて語り出した。その姿に、彼女は純粋さと情熱を感じた。
研究会の後、高志は勇気を振り絞って美咲を食事に誘った。美咲は快く承諾し、二人は距離を縮めていった。
初デートの帰り道、高志は美咲に告白しようとした。しかし、言葉が喉につかえて出てこない。彼は極度の緊張に襲われていた。過去の苦い経験が、彼の心を締め付けていた。
高志には、大学時代に親友と呼べる存在がいた。彼の名前は健太。高志とは正反対の性格で、明るく、社交的で、誰からも好かれる人気者だった。
高志は健太に依存していた。健太がいなければ、彼は大学生活を乗り越えることはできなかっただろう。しかし、高志の依存は、徐々に健太を苦しめるようになっていった。
高志は健太を独占しようとし、他の友人との交流を妨げ、自分の都合ばかりを押し付けた。健太は最初は我慢していたが、徐々に疲弊していき、最終的には高志から距離を置くようになった。
健太が去ってから、高志は人間関係を極度に恐れるようになった。誰かに依存すれば、いつか見捨てられる。そう信じるようになった。
美咲との初デートの帰り道、高志は過去のトラウマが蘇り、告白することをためらった。これは恋愛なのか?それとも、また依存なのか?
もし依存なら、美咲を傷つけてしまうかもしれない。そう考えたとき、彼は一歩踏み出すことができなかった。
美咲は、高志の様子に気づいていた。「どうしたの? 何か言いたそうな顔をしてる。」
高志は迷った末、自分の気持ちを正直に打ち明けることにした。「実は…君のことが好きだ。でも、怖いんだ。また誰かを依存して、傷つけてしまうんじゃないかって…」
美咲は驚いた表情を見せたが、すぐに優しく微笑んだ。「大丈夫。私は健太君じゃない。あなたの気持ち、ちゃんと受け止めるから。」
彼女の言葉に、高志は救われた。美咲は、彼の過去を受け入れ、依存ではなく、恋愛という形で繋がろうとしてくれたのだ。
二人は恋人として付き合い始めた。しかし、高志の依存体質は、簡単には変わらなかった。彼は常に美咲の行動を気にし、連絡が途絶えると不安になった。美咲は、根気強く高志と向き合い、彼の依存心を解きほぐしていった。
美咲の献身的な支えもあり、高志は数学の研究に没頭することができた。彼はついに、長年取り組んでいた定理の証明に成功し、数学界で注目を集めるようになった。
しかし、順風満帆な日々は長くは続かなかった。ある日、高志の研究室に、見慣れない男が現れた。それは、かつての親友、健太だった。
健太は、以前とはまるで別人のようだった。目は血走り、表情は険しく、全身から恨みのようなものが溢れ出ていた。
「高志…よくも俺を裏切ってくれたな!」健太は高志に掴みかかった。「お前が俺を依存し続けたせいで、俺の人生はめちゃくちゃになったんだ!」
健太は、高志との関係が破綻した後、人間不信になり、仕事も家庭も失ってしまったという。彼は高志を恨み、復讐するために現れたのだ。
健太は、高志の研究成果を盗み出し、学会で発表した。高志は、自分の研究が盗まれたことを知り、絶望した。彼は全てを失った。名声、キャリア、そして、数学への情熱まで…。
高志は、再び自傷行為に走るようになった。彼は、自分の存在意義を見失い、死を意識するようになった。
そんな高志を支えたのは、美咲だった。彼女は、高志の傍を片時も離れず、励まし続けた。「大丈夫。あなたは一人じゃない。私がいる。」
美咲は、高志の研究を奪い返そうと、奔走した。彼女は弁護士を雇い、健太を訴える準備を進めた。
裁判は、困難を極めた。健太は、巧妙な手口で証拠を隠滅し、嘘の証言を繰り返した。しかし、美咲は諦めなかった。彼女は、高志の研究ノートを隈なく調べ、健太の不正を暴く証拠を見つけ出した。
裁判の結果、健太の不正が認められ、高志は研究成果を取り戻すことができた。健太は逮捕され、高志への接近禁止命令が出された。
事件後、高志は自傷行為をやめ、再び数学の研究に打ち込むようになった。彼は、美咲の支えを受けながら、新たな数学の道を切り開いていった。
高志は、過去の依存心と決別し、美咲との恋愛を通して、真の愛情と信頼を学んだ。彼は、かつての親友に恨まれ、酷な仕打ちに遭ったが、恋愛関係に助けられ、前進していくことができたのだ。
夜景を見下ろす窓辺に、高志は美咲を抱きしめた。「ありがとう、美咲。君がいなかったら、今の僕はいない。」
美咲は、優しく微笑んだ。「私もよ。あなたに出会えて、本当に幸せ。」
二人は、お互いを支え合いながら、未来へと歩んでいく。虚数の海に溺れかけた二人は、互いの存在を通して、現実世界の確かな絆を見つけたのだ。