Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
見慣れた教室の風景。チョークの粉が舞い、窓から差し込む午後の光が、机上の数式をぼんやりと照らしている。 数学が得意な僕は、いつも一番後ろの席で、難しい問題に没頭していた。それが、僕の世界だった。
その日の午後は、いつもと少し違っていた。転校生の彼女、桜庭 美月（さくらば みづき）が、僕の隣の席に座ったのだ。長い黒髪、透明感のある白い肌。彼女は、まるで絵画から抜け出してきたかのようだった。
「あの…」美月は、困ったような顔で僕に話しかけてきた。「この問題、教えてもらえませんか？」彼女が指差したのは、基礎数学の問題だった。簡単な問題だったが、僕はなぜか緊張して、うまく言葉が出てこなかった。
それから、僕たちの関係は少しずつ変わっていった。美月は数学が苦手で、いつも僕に質問してきた。僕は、彼女に教えることが、いつしか喜びになっていった。彼女が笑顔になるたびに、胸の奥が暖かくなるような、不思議な感覚を覚えた。
しかし、美月はどこか不安定なところがあった。些細なことで落ち込み、自傷行為を繰り返していると、偶然知ってしまった。手首に巻かれた包帯。僕は、どうすることもできず、ただ彼女を心配することしかできなかった。
ある日、美月は僕に言った。「私、あなたに依存しているのかもしれない」。その言葉を聞いた瞬間、僕は動揺した。依存？ それは、恋愛とは違うのだろうか？ 僕たちの関係は、いったい何なのだろうか？
僕は、美月を救いたいと思っていた。しかし、僕は彼女の依存心を利用しているのかもしれない、という葛藤もあった。僕は数学者を目指している。そんな自分の将来を、美月のことで犠牲にしていいのだろうか？ 僕の心は、複雑な数式のように、絡み合っていた。
そんな悩みを抱えながら、ある日、美月と初めて街で遊んだ。夕暮れの公園で、二人はブランコに座って、静かに語り合った。
「私、昔から孤独だったの」美月は、ぽつりと言った。「誰かに必要とされたい、誰かと繋がりたいって、ずっと思っていた」。
僕は、美月の言葉に胸が締め付けられた。僕もまた、孤独を感じていたからだ。数学の世界に没頭することで、現実から逃避していたからだ。
「僕も…」僕は、勇気を振り絞って言った。「僕も、美月がいてくれて、嬉しいんだ」。
その夜、美月は初めて、自分の自傷行為について話してくれた。過去の辛い経験、家族との確執、学校でのいじめ…。僕は、ただ静かに彼女の話を聞き、彼女の痛みに寄り添った。
美月との関係が深まるにつれて、僕は数学への情熱を失いつつあることに気づいた。 数学の難問を解くよりも、美月と過ごす時間の方が大切になっていた。これは、僕の望んでいた数学者への道と逆行することになる。
周囲の人々は、僕たちの関係をよく思っていなかった。「あいつは、ただお前に依存しているだけだ」「数学の才能を無駄にするな」。友人や教師から、何度も忠告を受けた。
僕は、偏見との闘いにも苦しんだ。美月の自傷行為を知った人々は、彼女を特別な目で見ていた。僕もまた、彼女の恋人として、白い目で見られるようになった。
そんな状況の中で、僕は、美月と別れるべきなのかもしれない、と思うようになった。しかし、彼女を見捨てることは、僕にはできなかった。彼女は、僕にとって、かけがえのない存在になっていたからだ。
ある日、美月は僕に言った。「もう、あなたに会わない方がいいのかもしれない」。美月の目は、悲しみに濡れていた。
「なぜだ？」僕は、困惑して尋ねた。「僕たちの関係は、いったい何なんだ？」
「だって…」美月は、声を震わせながら言った。「あなたは、私のせいで、自分の夢を諦めてしまうかもしれない。そんなこと、私は嫌なの」。
僕は、美月の言葉に愕然とした。彼女は、僕のことを本当に大切に思っているのだと、初めて知った。
「違う」僕は、美月の手を握りしめて言った。「僕は、君と一緒にいたいんだ。君と一緒に、数学の道を進んでいきたいんだ」。
僕は、自分の依存心と、美月の依存心。二つの歪んだ感情が、互いを強く引きつけ、がんじがらめにしているだけなのではないかと思った。
僕は、美月に、ある提案をした。「一緒に、依存から抜け出そう。自分の力で、孤独を乗り越えよう」。
美月は、戸惑いながらも、僕の提案を受け入れた。僕たちは、互いに支え合いながら、それぞれの自傷行為を克服し、依存から抜け出すために努力した。
それは、簡単な道のりではなかった。何度も挫折し、何度も泣いた。しかし、僕たちは決して諦めなかった。互いを信じ、支え合うことで、少しずつ、前に進んでいった。
そして、ついに、僕たちは依存から抜け出すことができた。美月は、自傷行為を完全に克服し、自分の夢を見つけることができた。僕は、再び数学への情熱を取り戻し、数学者になるための努力を始めた。
僕たちの関係は、依存から恋愛へと変わった。それは、依存に基づいた歪んだ愛ではなく、互いを尊重し、支え合う、真実の恋愛だった。
数年後、僕は数学者になり、美月は自分の夢を叶えた。数学の世界で活躍する僕を、美月はいつも応援してくれた。そして、僕もまた、美月の夢を全力で応援した。
夕焼け空の下、公園でブランコをこぐ僕たち。 あの日と同じように、隣には美月がいた。 数学の難問よりも難しい愛の証明に、やっとたどり着いた気がした。
僕たちは、互いの孤独を埋め合い、依存を乗り越え、真実の愛を見つけた。 偏見の壁を壊し、未来へと向かって歩き出す。 あの時、あの場所で美月と出会えたからこそ、今の僕たちがいる。
これは、僕と美月の物語。 数学と依存、そして恋愛が交差する、虚数の迷宮からの脱出劇。 きっと、この物語は、誰かの心を温かくしてくれるだろう。