虚数の迷路、実数の光

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

空は鉛色に染まり、雨粒が数学の問題集を濡らしていた。高校二年生の蒼太は、傘もささずに公園のベンチに座り込んでいた。
頭の中では複雑な数学の公式が渦巻き、解けない依存の鎖が絡みついていた。いや、正確には『解きたくない』のかもしれない。
彼の依存先は、幼馴染の灯里だった。小学校からの付き合いで、明るくて活発な彼女は、内向的な蒼太にとって太陽のような存在だった。
しかし、いつからだろうか。灯里の笑顔が、まるで麻薬のように、彼の心を蝕むようになったのは。彼女の声を聞かないと落ち着かず、彼女の姿を見ないと不安になる。
初めて会った日、それはごく普通の出会いだった。公園で迷子になって泣いていた蒼太に、灯里がハンカチを差し出したのだ。あの時、彼は、これが依存なのか、恋愛なのか、全くわからなかった。
ただ、彼女の優しさが、彼の閉ざされた世界に光を差してくれたことだけは確かだった。彼は無意識のうちに、その光に依存するようになったのだ。
蒼太の心には、もう一つの闇が潜んでいた。中学時代、彼は親友の優斗に激しく依存していた。いつも一緒にいて、何をするにも一緒。優斗がいなければ、彼は何もできなかった。
しかし、蒼太の過剰な依存は、優斗を苦しめていた。ある日、優斗は蒼太に言った。「お前と一緒にいると、息が詰まるんだ」。その言葉が、蒼太の心を深く傷つけた。
優斗は蒼太から離れていった。それ以来、蒼太は誰かと深く関わることを恐れるようになった。深入りすれば、また同じことが起こるかもしれない、と。
そんな蒼太にとって、灯里は唯一の例外だった。彼女の前では、彼は無理に明るく振る舞う必要も、気を遣う必要もなかった。ただ、ありのままの自分でいることができた。
しかし、彼は恋愛という感情に戸惑っていた。これは本当に恋愛なのだろうか。それとも、ただの依存なのだろうか。答えは、なかなか見つからなかった。
蒼太は、自分の腕をじっと見つめた。そこには、無数の自傷の跡が残されていた。それは、彼の心の痛みを示す証だった。
彼は、現実から逃避するために、数学の世界に没頭していた。数字の論理的な美しさに、彼は一時的な安らぎを見出すことができた。しかし、それもつかの間だった。
家に帰ると、灯里が待っていた。「遅いよ、蒼太」。彼女は少し怒ったように言ったが、その瞳には心配の色が浮かんでいた。
「ごめん」と蒼太は小さく謝った。灯里は彼の隣に座り、そっと手を握った。「何かあったら、いつでも言ってね」。
その言葉に、蒼太の胸は締め付けられた。彼は、自分の弱さを彼女に打ち明けることができなかった。彼女の依存に応えなければ、というプレッシャーに押しつぶされそうだった。
数日後、学校で事件が起こった。蒼太の数学のテストが盗まれ、インターネットに流出したのだ。彼は真っ先に疑われた。
以前、優斗との関係で孤立した過去を持つ蒼太は、周囲からの疑いの目を浴び、再び孤立した。「どうせ俺なんか…」という気持ちが、彼の心を暗く染めていった。
そんな時、灯里は蒼太を信じてくれた。「蒼太がそんなことするはずない」。彼女の言葉が、彼の心を少しだけ明るくした。
しかし、真犯人は意外な人物だった。それは、かつての親友、優斗だったのだ。彼は蒼太に対する依存が裏切られたと感じ、憎しみに変わっていたのだ。
「お前が悪いんだ、蒼太。お前があんなに俺に依存しなければ、こんなことにはならなかったんだ!」優斗は蒼太に詰め寄り、暴力を振るおうとした。
その時、灯里が蒼太を庇った。優斗は灯里を突き飛ばし、彼女は地面に倒れた。蒼太は激しい怒りに駆られ、優斗に殴りかかった。
しかし、彼はすぐに我に返った。優斗を傷つけても、何も解決しない。彼は、優斗を抱きしめた。「ごめん、優斗。俺が悪かった」。
優斗は泣き崩れた。「俺だって、こんなことしたくなかったんだ…」。二人は互いに謝罪し、少しずつだが、和解の道を歩み始めた。
灯里は怪我をしたものの、無事だった。蒼太は、彼女の優しさに改めて感謝した。彼は、恋愛依存の違いを理解し始めた。本当に大切なのは、相手を束縛することではなく、支え合うことなのだ。
事件の後、蒼太は自傷行為をやめた。彼は、灯里の支えと、優斗との関係修復を通じて、少しずつ前向きに生きるようになった。
彼は数学に対する情熱を取り戻し、将来は数学者を目指すことを決意した。そして、彼は灯里に告白した。「好きだよ、灯里」。
灯里は微笑んだ。「私もだよ、蒼太」。二人は手をつなぎ、未来に向かって歩き出した。空は晴れ渡り、太陽が優しく二人を照らしていた。
しかし、蒼太の心には、まだ小さな棘が残っていた。それは、優斗に対する罪悪感だった。彼はいつか、優斗に心から感謝し、許しを請わなければならない、と。
数年後、蒼太は大学で数学を学び、灯里は看護師になった。二人は支え合いながら、それぞれの夢を追いかけていた。
優斗は、地方の工場で働いていた。彼は、過去の過ちを深く後悔し、罪滅ぼしのために懸命に生きていた。
ある日、蒼太は優斗に手紙を書いた。「あの時はごめん。君も辛かったんだね。今は、君の幸せを願っているよ」。
優斗から返事はなかった。しかし、蒼太は、いつか優斗と再会し、心から笑い合える日が来ることを信じていた。
人生は数学の難問のように複雑だが、答えは必ず存在する。そして、その答えは、依存恋愛自傷といった迷路を抜け出した先にある。大切なのは、諦めずに、光を探し続けることなのだ。