Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
桜が舞い散る四月の午後、数学研究会の部室は、新入生歓迎の賑わいとは裏腹に、どこかひっそりとした空気に包まれていた。窓際の席で難しい数式を睨んでいるのは、高校三年生の佐野悠斗だった。彼は、他の部員たちとは少し違うオーラを放っていた。集中しているときの鋭い眼差し、時折見せる憂いを帯びた表情。誰もが、彼の中に何か深い影があることを感じていた。
「悠斗、ちょっと休憩しない?難しい数学の問題にばかり取り組んでいると、頭が疲れてしまうよ」
声をかけたのは、同学年の渡辺美咲。彼女は、太陽のように明るく、誰からも好かれる存在だった。いつも悠斗のことを気にかけており、まるで姉のように彼の世話を焼いていた。
「ああ、美咲か。別に疲れてないよ。この問題、どうしても解けなくて」
悠斗は、少し不機嫌そうに答えた。彼の口調はいつもぶっきらぼうだが、美咲は気にすることなく、彼の隣に腰を下ろした。
「見せてごらん。私も数学は得意だから、もしかしたらヒントくらいはあげられるかも」
美咲は、悠斗のノートを覗き込んだ。彼女の明るい笑顔は、悠斗の心を少しだけ和ませた。美咲といると、彼はほんの少しだけ、自分の殻から抜け出すことができた。
その日の帰り道、二人は駅まで一緒に歩いた。いつものように、美咲は他愛もない話で悠斗を楽しませようとした。しかし、悠斗はどこか上の空だった。
「美咲、お前ってさ、どうして俺なんかといつも一緒にいるんだ?俺、お前に何かしてあげられたこと、何もないのに」
「どうしてって…、だって、悠斗は私の大切な友達だもん。それに、私が勝手に悠斗のそばにいたいだけだよ」
美咲は、そう答えると、少し恥ずかしそうに笑った。彼女の言葉は、嘘偽りのないものだった。
悠斗は、美咲の言葉を聞きながら、胸の中に複雑な感情が湧き上がってくるのを感じた。美咲の優しさ、彼女の存在が、彼にとってどれだけ大きな支えになっているか。しかし同時に、彼女に依存している自分に対する嫌悪感も、彼の心を蝕んでいた。
「俺は…、お前に依存してるんだ。お前がいなくなったら、俺、どうすればいいかわからない」
悠斗は、震える声でそう呟いた。美咲は、悠斗の言葉にショックを受け、彼の顔をじっと見つめた。
美咲は、何を言えばいいのかわからなかった。彼女にとって、悠斗は特別な存在だった。しかし、彼の依存がここまで深いものだとは、想像もしていなかった。
初めて美咲に会ったのは、高校入学式の日のことだった。人混みの中で迷子になっていた悠斗に、美咲が優しく声をかけてくれたのだ。その時、悠斗は彼女の笑顔に一瞬で心を奪われた。それ以来、二人はいつも一緒にいるようになった。彼にとって、美咲は恋愛対象というよりも、心の支え、生きる希望そのものだった。
しかし、悠斗の心には、常に暗い影が付きまとっていた。幼い頃から、彼は数学の才能を発揮し、周囲から天才と呼ばれてきた。しかし、その才能は同時に、彼を孤独へと追い込んだ。誰も彼の苦しみ、彼の孤独を理解してくれなかった。
両親は彼に過度な期待をかけ、学校では他の生徒から偏見の目で見られた。彼は、自分の居場所を見つけることができなかった。そんな時、彼を救ってくれたのが美咲だった。
しかし、彼女の存在は、同時に彼を苦しめることにもなった。彼女に依存する自分、彼女なしでは何もできない自分を、彼は強く憎んでいた。
夜、悠斗は自室で一人、苦悩していた。机の上には、解きかけの数学の問題集が無造作に積まれている。しかし、彼の心は数学どころではなかった。
彼は、リストカット用のカッターを手に取った。それは、彼が抱える苦しみを一時的に忘れさせてくれる唯一の手段だった。彼は、ためらうことなく、自分の腕に刃を当てた。赤い血が流れ出し、痛みが彼の意識を現実へと引き戻した。彼は、自分の愚かさを呪った。なぜ、こんなことを繰り返してしまうのだろうか。
次の日、美咲はいつも通り、悠斗を迎えに彼の家の前まで来た。しかし、彼はなかなか姿を現さなかった。心配になった美咲は、思い切って彼の家のインターホンを押した。
「おはよう、美咲。今日は、少し体調が悪いから、学校休むよ」
悠斗は、少し掠れた声で答えた。美咲は、彼の様子がおかしいことにすぐに気づいた。
「悠斗、ちょっといい?少しだけ話したいことがあるの」
美咲は、そう言うと、無理やり悠斗の家のドアを開けた。彼女は、彼の部屋へと入ると、あたりを見回した。そして、彼の腕に巻かれた包帯に気づいた。
美咲は、涙声でそう言った。悠斗は、何も言わずにうつむいた。
美咲は、悠斗に駆け寄り、彼を抱きしめた。彼女の温かさが、悠斗の心を優しく包み込んだ。彼は、堪えきれずに涙を流した。
悠斗は、何度も謝った。美咲は、彼の背中を優しくさすりながら、静かに言った。
「もう、やめて。もう、そんなことしないで。悠斗がいなくなったら、私はどうすればいいの?」
美咲の言葉は、悠斗の胸に深く突き刺さった。彼は、美咲の悲しそうな表情を見て、自分がどれだけ彼女を傷つけているのかを思い知った。
悠斗は、震える声でそう言った。彼は、美咲の腕の中で、自分の弱さと向き合うことを決意した。彼は、彼女のために、生きることを諦めないと誓った。
それから、悠斗は美咲の支えを受けながら、少しずつ立ち直っていった。彼は、カウンセリングに通い、自分の抱える問題と向き合うことを始めた。彼はまた、数学研究会の活動にも積極的に参加するようになった。彼は、数学を通して、自分の才能を社会に役立てることを目指すようになった。
美咲は、そんな悠斗をいつもそばで支え続けた。彼女は、彼の心の支えであり、生きる希望だった。二人の関係は、依存から恋愛へと、少しずつ変化していった。
卒業式の日、悠斗は美咲に感謝の気持ちを伝えた。彼は、彼女がいなければ、今の自分はなかっただろうと心から思っていた。
「美咲、本当にありがとう。お前がいなかったら、俺は…」
悠斗は、言葉を詰まらせた。美咲は、彼の言葉を遮り、優しく微笑んだ。
「いいの、悠斗。私は、ただ悠斗のそばにいたかっただけだよ。これからも、ずっと一緒にいようね」
二人は、桜舞い散る校庭で、未来への希望を胸に抱きしめた。彼らの物語は、まだ始まったばかりだった。