Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
夕焼けが数学科準備室の窓から差し込み、床に伸びる幾何学模様を描いていた。17歳の僕、ユウキは、その光の中に一人、微分積分の問題集と格闘していた。得意なはずの数学が、今日はまるで暗号のように感じられた。焦燥感が胸を締め付け、ボールペンを握る手に力が入る。
背後から明るい声が響き、ハッとして顔を上げた。そこに立っていたのは、同級生のサクラだった。長い黒髪を揺らし、いつも笑顔を絶やさない彼女は、まるで太陽のようだった。彼女といると、僕の心の暗雲が少しだけ晴れる気がした。
「ああ、サクラか。ちょっと難しい問題に引っかかってて」
僕は、問題集を隠すように伏せた。サクラには、自分が数学オタクで、常に完璧を目指していることを知られたくなかった。いや、正確には、完璧じゃない自分を知られたくなかった。
「見せてみて。私も数学は得意じゃないけど、少しは役に立てるかも」
サクラは、遠慮なく僕の隣に座り、問題集を覗き込んだ。彼女の香水の甘い香りが鼻腔をくすぐり、僕はどぎまぎした。こんなに近い距離でサクラと話すのは、初めてだった。
サクラは、さらさらと問題を解き始めた。僕が数時間かけても解けなかった問題が、彼女の手にかかると魔法のように解けていく。僕はただ、彼女の指先を見つめることしかできなかった。
「ほら、できた。依存しちゃだめだよ、ユウキ。自分で考えることも大事」
サクラは、そう言って、僕に微笑みかけた。依存という言葉が、心に引っかかった。確かに、僕はサクラに頼りすぎていたかもしれない。彼女の存在が、僕の心の支えになっていたのは事実だった。
初めてサクラと出会ったのは、中学一年生の時だった。入学式の日に、人見知りの僕は隅の席で一人ぼっちでいた。そこに、サクラが声をかけてくれたのだ。「こんにちは!私、サクラって言います。一緒に遊ぼうよ!」彼女の笑顔は、僕の世界を明るく照らしてくれた。それ以来、僕たちはいつも一緒にいた。勉強も、遊びも、いつも一緒だった。
サクラは、明るく、優しく、誰からも好かれる女の子だった。それに比べて、僕は内向的で、数学以外に取り柄のない人間だった。サクラは、そんな僕の才能を認めてくれ、いつも励ましてくれた。彼女がいなければ、今の僕は存在しないだろう。
サクラが帰った後、僕は再び問題集に向かった。今度は、先ほどまでとは違い、問題がスムーズに解けた。サクラのアドバイスを思い出しながら、僕は一つ一つ丁寧に問題を解いていった。集中していると、いつの間にか夕焼けは終わり、部屋は暗くなっていた。
家に帰ると、母が心配そうな顔で出迎えてくれた。「ユウキ、遅かったわね。また数学?少しは休憩しなさい」母は、僕の数学への執着を心配していた。僕が数学に没頭するのは、現実から逃避するためだと、母は思っているのかもしれない。
自室に戻り、僕はベッドに倒れ込んだ。天井を見上げていると、今日あった出来事が頭の中を駆け巡った。サクラとの会話、彼女の笑顔、そして依存という言葉。僕は、サクラのことをどう思っているのだろうか?彼女は僕にとって、ただの友達なのだろうか?それとも…
翌日、学校に行くと、サクラはいつものように明るい笑顔で僕を迎えてくれた。「おはよう、ユウキ!今日も数学頑張る?」僕は、彼女の笑顔に心を奪われながら、曖昧に微笑んだ。僕の心の中には、ある感情が芽生え始めていた。それは、恋愛と呼べるものなのか、それとも単なる依存なのか。まだ、自分でもよく分からなかった。
放課後、僕は数学科準備室で一人、黙々と勉強していた。試験が近づいていることもあり、最近はいつも以上に数学に時間を費やしていた。そんな時、扉がノックされた。
ドアを開けると、そこにはサクラが立っていた。彼女は少し不安そうな表情をしていた。
サクラは、少し躊躇した後、ゆっくりと話し始めた。「最近、ユウキのことを見てると、なんだか心配なの。無理してるんじゃないかって。いつも数学のことばかり考えて、他のことには全く興味がないみたいだし。それに、私に依存しすぎてるんじゃないかなって…」
サクラの言葉に、僕はドキッとした。やはり、彼女は気づいていたんだ。僕の依存に、僕の心の闇に。
「ごめん、サクラ。迷惑かけてることは分かってる。でも、数学しか僕にはないんだ。他に何もできない、価値のない人間なんだ」
僕は、自嘲気味に笑った。すると、サクラは悲しそうな顔で僕を見つめた。
「そんなことないよ、ユウキ!ユウキには、素晴らしい才能がある。それに、数学だけが全てじゃない。もっと色々なことに興味を持って、自分を大切にしてほしい。お願いだから…」
サクラの声は、震えていた。彼女の瞳には、涙が浮かんでいた。
僕は、サクラの涙を見て、初めて自分の愚かさに気づいた。僕は、数学という殻に閉じこもり、サクラの優しさを利用して、自分を甘やかしていただけだった。そして、その結果、サクラを傷つけてしまっていたのだ。
「サクラ、ごめん。もう、こんなことはしない。もっと自分自身と向き合って、数学以外のことも頑張ってみる。だから、泣かないで」
僕は、震える声で言った。すると、サクラは僕を強く抱きしめた。
「ありがとう、ユウキ。私は、ユウキが自傷したり、苦しんだりするのを見るのが辛いの。だから、変わってくれると嬉しい」
サクラの言葉は、僕の心に深く突き刺さった。僕は、今まで自分のことしか考えていなかった。サクラの気持ちを、全く理解していなかったのだ。
その日から、僕は少しずつ変わろうと努力した。数学だけでなく、他のことにも積極的に取り組むようにした。苦手だった体育の授業にも真剣に取り組み、美術部にも入部してみた。最初は戸惑うことばかりだったが、少しずつ新しい世界が開けていくのを感じた。
サクラも、僕の変化を喜んでくれた。彼女は、いつも僕を励まし、応援してくれた。僕は、そんなサクラの優しさに支えられながら、日々成長していくことができた。
ある日、サクラと二人で公園を散歩していた。秋の澄み切った空の下、僕たちは手をつないで歩いた。
「ねえ、ユウキ。最近、本当に変わったね。前よりもずっと笑顔が増えたし、色々なことに興味を持つようになった。嬉しいよ」
「ああ、サクラのおかげだよ。サクラがいなかったら、今の僕はいないと思う。本当に感謝してる」
僕は、サクラに心からの感謝の気持ちを伝えた。すると、サクラは少し照れくさそうに微笑んだ。
「私も、ユウキに出会えてよかった。ユウキは、私にとって大切な存在だから」
サクラの言葉を聞いて、僕の心は高鳴った。彼女にとって、僕はただの友達なのだろうか?それとも、それ以上の存在なのだろうか?
僕は、サクラに告白しようと思った。しかし、その時、僕の心の中に、ある迷いが生まれた。依存と恋愛は、紙一重だ。僕は、本当にサクラのことを恋愛として愛しているのだろうか?それとも、ただ依存しているだけなのだろうか?もし、僕の気持ちが依存だとしたら、サクラを再び傷つけてしまうかもしれない。
僕は、告白する勇気が出なかった。結局、僕はサクラに微笑みかけ、言葉を飲み込んだ。「ありがとう、サクラ」
その夜、僕は自室で一人、眠れずにいた。天井を見上げながら、僕は自分の心と向き合っていた。依存と恋愛の違いとは何だろうか?依存は、相手に頼り切って、相手なしでは生きていけない状態のことだ。一方、恋愛は、相手のことを大切に思い、相手の幸せを願う気持ちのことだ。僕は、サクラのことを大切に思っている。彼女の笑顔を見るのが好きだし、彼女が幸せになってくれることを願っている。だから、僕の気持ちは、きっと恋愛なんだ。
しかし、それでも僕は、告白する勇気が出なかった。なぜなら、僕は、まだ自分自身に自信が持てなかったからだ。僕は、数学以外のことで、まだ何も成し遂げていない。そんな僕が、サクラに告白する資格なんてない。
僕は、もっと成長しなければならない。もっと自分自身を磨いて、サクラにふさわしい人間にならなければならない。そう決意した僕は、再び数学の勉強に取り組み始めた。しかし、今度は、サクラのためではなく、自分のために勉強しようと思った。
それから、数年が過ぎた。僕は大学に進学し、数学の研究に没頭していた。サクラも、夢を叶えるために頑張っていた。僕たちは、お互いの夢を応援し合いながら、少しずつ大人になっていった。
大学院に進学してしばらく経った頃、サクラから電話があった。「ユウキ、久しぶり。会えないかな?」僕は二つ返事で承諾した。久しぶりに会ったサクラは、以前よりもさらに美しくなっていた。彼女の瞳は輝き、その笑顔は、僕の心を温かく照らしてくれた。
「ああ、毎日数学の研究に没頭してるよ。おかげで、少しは自信がついてきた」
僕は、照れくさそうに笑った。すると、サクラは優しく微笑んだ。「よかった。ユウキが頑張ってる姿を見るのは、私も嬉しい」
しばらくの間、僕たちは昔話に花を咲かせた。中学時代の思い出、高校時代の恋愛、そして将来の夢。話しているうちに、僕の心の中に、ある感情が再び芽生え始めた。それは、数年前に抑え込んだ、サクラへの恋愛感情だった。
僕は、覚悟を決めて、サクラに告白しようと思った。しかし、その時、サクラが口を開いた。「ユウキ、実はね、私、結婚することになったの」
サクラの言葉に、僕は息を呑んだ。一瞬、世界が止まったように感じた。数年ぶりに芽生えた恋愛感情は、一瞬にして砕け散った。
僕は、絞り出すように言った。顔には、作り笑いが張り付いていた。サクラは、僕の表情を見て、何かを察したようだった。
サクラは、悲しそうな顔で僕を見つめた。僕は、首を横に振った。「謝らないで。サクラが幸せになってくれるなら、それでいいんだ」
僕は、サクラの幸せを心から願った。しかし、その一方で、自分の不甲斐なさに落胆していた。数年前、僕はサクラに告白する勇気がなかった。そして今、僕はサクラを失ってしまった。すべては、僕自身の弱さが招いた結果だった。
サクラは結婚し、僕は数学の研究に没頭する日々が続いた。数年後、僕は大学の教授になり、数学界で名を知られる存在となった。しかし、心の奥底には、常にサクラの存在があった。彼女の笑顔、彼女の声、そして、彼女への恋愛感情は、決して消えることはなかった。
ある日、僕は母校の数学科準備室を訪れた。そこは、僕とサクラが初めて出会った場所だった。夕焼けが窓から差し込み、床に伸びる幾何学模様を描いていた。僕は、その光の中に一人、佇んでいた。そして、過去の思い出に浸っていた。あの時、サクラに告白していたら、僕の人生は変わっていたのだろうか?
ふと、準備室の机の上に、一枚の紙切れが置いてあることに気づいた。それは、数年前に僕が解けなかった数学の問題だった。僕は、懐かしい気持ちで、その問題を解き始めた。そして、すぐに答えにたどり着いた。
問題を解き終えた時、僕は一つのことに気づいた。あの時、サクラに依存していたのは、僕だけではなかったのだ。サクラもまた、僕に依存していた。僕の才能に、僕の数学への情熱に。彼女は、僕を通して、自分の夢を見ていたのだ。
依存と恋愛は、確かに紙一重だ。しかし、その間には、明確な違いがある。依存は、相手を利用して、自分の心の隙間を埋める行為だ。一方、恋愛は、相手のことを心から愛し、相手の成長を願う気持ちだ。そして、その愛は、相手だけでなく、自分自身をも成長させる力を持っている。
僕は、今なら、サクラに心から感謝できる。彼女は、僕の依存心を見抜き、僕を成長させてくれた。そして、彼女との出会いは、僕の人生を大きく変えてくれた。僕は、数学者として、そして人間として、大きく成長することができた。
螺旋階段を一段ずつ上るように、人生は少しずつ変化していく。過去の恋愛、そして、依存していた気持ちも、いつかは美しい思い出となる。僕は、これからも数学の研究に情熱を注ぎながら、自分自身の成長を信じて、生きていくだろう。