螺旋階段の数式

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

夕暮れ時、数学オリンピックの予選会場からの帰り道、高橋湊(ミナト)は俯き加減に歩いていた。今日の出来は最悪だった。数週間後に控える本選に進める見込みは薄い。幼い頃から得意だった数学が、最近では苦痛でしかなかった。
「またダメだった…」
湊は、過去の出来事が脳裏をよぎるのを止められなかった。中学時代、彼は親友だった伊藤悠真(ユウマ)に依存しすぎていた。いつも一緒にいて、何をするにも悠真が中心だった。だが、その依存は重すぎたのだろう。悠真はある日、何も言わずに湊の前から姿を消した。それ以来、湊は誰かと深く関わることを恐れるようになった。
駅の改札を抜けようとした時、一人の少女が目に留まった。長い黒髪を揺らし、まっすぐ前を見つめている。その姿に、なぜか強く惹かれた。彼女の名前は桜井花音(カノン)といった。
花音は、湊よりも少しだけ年上だった。優しく、いつも笑顔を絶やさない。湊は、そんな花音に徐々に心を開いていった。花音は湊の数学の才能を褒め、彼の努力を認め、励ました。花音の言葉は、湊の心に染み渡り、自信を取り戻させてくれた。
二人は、よく一緒に勉強をするようになった。湊は花音に数学を教え、花音は湊に文学や哲学を語った。お互いの得意分野を教え合ううちに、二人の距離はどんどん縮まっていった。
ある日、湊は花音と一緒に近くのカフェで勉強していた。ふと、花音が窓の外を見ながら、寂しそうな表情を浮かべていることに気づいた。
「どうしたの?」湊は心配そうに尋ねた。
「…私ね、ずっと誰かに依存してたんだ。でも、その人がいなくなっちゃって…」
花音の言葉に、湊は息を呑んだ。自分と似たような境遇の持ち主だったのか。そう思った瞬間、湊は花音に強く惹かれている自分に気が付いた。これが恋愛なのか、それとも単なる依存なのか、湊には分からなかった。
その夜、湊は自分の部屋で悩んでいた。花音のことを考えると、胸が締め付けられるような感覚になる。それは、悠真と別れた時以来、初めての感情だった。同時に、また誰かに依存してしまうのではないかという恐怖も感じていた。
湊は、インターネットで自分の悩みを検索してみた。すると、「共依存」という言葉が目に留まった。共依存とは、相手を必要以上に世話したり、相手の行動をコントロールしようとしたりする関係性のことだった。
湊は、自分の過去の行動を振り返ってみた。悠真に対する自分の依存は、まさに共依存だったのかもしれない。だとすれば、花音に対する自分の気持ちも、ただの依存なのではないか。湊は、そう考えると、いてもたってもいられなくなった。
翌日、湊は花音に会うのを避けた。メールの返信も遅らせた。花音は、そんな湊の様子を不思議に思っていた。
数日後、花音は湊の家を訪れた。「どうして連絡くれないの?」花音は心配そうに尋ねた。
湊は、花音に自分の悩みを打ち明けた。「…僕、また誰かに依存してしまうのが怖いんだ。君に恋愛感情を抱いているのか、ただ依存しているだけなのか、自分でも分からない」
花音は、湊の言葉を静かに聞いていた。そして、ゆっくりと口を開いた。「湊君、あなたは勘違いしているわ。依存恋愛は違う。本当に相手のことを大切に思う気持ちは、相手を束縛することじゃない。相手の幸せを願うことよ」
花音の言葉は、湊の胸に響いた。そうだ、自分はまた同じ過ちを繰り返そうとしていた。相手をコントロールしようとするのではなく、ただ相手の幸せを願えばいい。湊は、そう気づいた。
「ありがとう、花音」湊は、花音の手を握った。「少し、落ち着けた気がする」
それから、湊は少しずつ変わっていった。花音との関係を大切にしながらも、自分の時間も大切にするようになった。友達とも積極的に交流するようになり、悠真のことも少しずつ受け入れられるようになっていった。
しかし、完全に過去を振り切れたわけではなかった。プレッシャーを感じると、湊は時々、自分の腕を自傷することがあった。それは、誰にも言えない秘密だった。
本選まであと一週間という日、湊はいつものように花音と勉強をしていた。その時、花音は湊の腕に隠された傷跡に気づいてしまった。「これ…どうしたの?」花音は、顔色を変えて尋ねた。
湊は、言葉を失った。隠し通せると思っていた秘密が、ついに暴かれてしまった。
湊は、過去の出来事と自傷行為について、全てを花音に打ち明けた。花音は、何も言わずに湊を抱きしめた。「辛かったね…」花音は、優しく湊の背中をさすった。
花音は、湊を病院に連れて行った。カウンセリングを受け、自傷行為の原因を探り、治療を受けることになった。最初は抵抗があった湊だが、花音の支えもあり、少しずつ前向きになっていった。
本選当日、湊は落ち着いて問題に取り組むことができた。結果は、見事、全国大会への出場権を獲得。花音は、自分のことのように喜んだ。
「おめでとう、湊君!」花音は、満面の笑みで湊を抱きしめた。「本当に、よく頑張ったね」
湊は、花音に感謝した。花音がいてくれたからこそ、自分は変わることができた。花音がいなければ、きっと今も過去の依存自傷に苦しんでいたに違いない。
二人は、これからも一緒に生きていくことを誓った。互いに依存するのではなく、支え合い、尊重し合いながら。螺旋階段を上るように、少しずつ、しかし確実に、未来へと進んでいく。
数年後、湊は一流の数学者となった。そして、花音と結婚し、幸せな家庭を築いた。過去の苦しみは、二人をより強く結びつけ、絆を深めていった。
ある日、湊は花音に尋ねた。「あの時、なぜ僕を助けてくれたの?」
花音は、微笑んで答えた。「あなたの数学に対する情熱と、心の奥底にある優しさに惹かれたから。そして、何よりも、あなたが救いを求めているように感じたから」
湊は、花音の言葉に深く感動した。花音は、彼の心の闇を見抜き、光を与えてくれたのだ。彼は、花音を生涯かけて大切にすると、心に誓った。
そして、湊は悠真に手紙を書いた。過去の自分の依存について謝罪し、今の自分の気持ちを伝えた。悠真からはすぐに返事が来た。「元気でいるみたいでよかった。湊が幸せそうで嬉しいよ」その言葉に、湊は救われた。過去の依存から解放され、彼は本当に自由になったのだ。
湊と花音は、数式のように複雑に絡み合いながらも、互いを支え合い、愛し合い、幸福な人生を歩んでいく。それは、螺旋階段のように、終わりなき物語の始まりだった。