雨上がりの教室と硝子の傷跡

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

雨上がりの放課後、夕焼けが依存するように校舎を赤く染めていた。俺、湊斗(みなと)は、窓際の席でノートを眺めていた。授業の内容なんて、ほとんど頭に入っていない。ただ、時間だけが過ぎていくのをぼんやりと感じていた。
クラスの中心にいるような明るい女の子、恋愛沙希(さき)が、教室に入ってきた。彼女の笑顔は、いつも誰かを照らしているようで、少し眩しかった。初めて会ったとき、胸を締め付けるような感情を覚えたんだ。これが、恋愛なのか、それとも…? あの頃の俺には、まだよくわからなかった。
「湊斗くん、一緒に帰ろう?」
沙希の声は、まるで鈴の音のようだった。顔を上げると、彼女は俺を真っ直ぐ見つめていた。その瞳には、何の感情も読み取れない。ただ、俺を依存させているのかもしれない。そう思ってしまうくらい、引き込まれるような力があった。
「…ああ」
短く答えて、俺は席を立った。沙希の隣を歩くのは、いつも緊張する。彼女の存在が、今の俺には刺激が強すぎるのかもしれない。
帰り道、沙希は色んな話をしてくれた。学校のこと、友達のこと、好きな音楽のこと…。彼女の話を聞いていると、退屈だったはずの景色が、少しだけ鮮やかに見えた。
でも、心の中には、いつも拭いきれない不安があった。沙希は、どうして俺と話してくれるんだろう? クラスには、もっと面白くて、もっと人気のある男の子がたくさんいるのに。
そんなことを考えていると、沙希が突然立ち止まった。
「湊斗くん、あのね…」
彼女は、少し俯き加減で、何か言いにくそうだった。
「…何かあった?」
心配になって尋ねると、沙希はゆっくりと顔を上げた。その表情は、さっきまでの笑顔とは違って、どこか悲しげだった。
「私…、依存しないと生きていけないんだ…」
彼女の言葉に、俺は息を呑んだ。沙希が依存体質だなんて、全く予想していなかったからだ。
「私、誰かに頼っていないと、自分が自分でなくなってしまう気がするの。だから…、湊斗くん、お願い。私のそばにいて」
沙希の言葉は、まるで呪いのように俺の心にまとわりついた。彼女の依存を受け入れることは、一体何を意味するんだろう?
その日から、俺と沙希の関係は、少しずつ変わっていった。彼女は、以前にも増して俺に依存するようになった。毎日一緒に学校に通い、一緒に昼食を食べ、一緒に帰る。休みの日も、いつも俺に連絡してくる。
最初は、彼女の依存が嬉しかった。自分を必要としてくれる人がいることが、誇らしかった。でも、日が経つにつれて、その依存が重荷になっていった。彼女の依存に応えようとすればするほど、俺自身の心が締め付けられていくような気がした。
ある日、沙希と喧嘩をしてしまった。些細なことがきっかけだったが、お互いの感情が爆発してしまったのだ。俺は、沙希の依存が重いと、正直に打ち明けた。沙希は、俺の言葉を聞いて、深く傷ついたようだった。
「…ごめんね」
彼女は、涙を堪えながら、そう言った。そして、そのまま走り去ってしまった。
沙希が去った後、俺は一人ぼっちになった。彼女のいない世界は、まるで色を失ったモノクロ写真のようだった。初めて、彼女の依存が、どれだけ自分の心の支えになっていたのかを知った。
数日後、沙希から連絡があった。「話したいことがある」と。
指定された場所にいくと、沙希は少し痩せたように見えた。彼女の瞳には、以前のような輝きはなかった。
「湊斗くん、私、変わろうと思っているの」
沙希は、静かに語り始めた。彼女は、自分の依存体質を克服するために、カウンセリングに通い始めたのだという。
「もちろん、すぐに変われるとは思っていない。でも、少しずつでも、自分の足で歩けるようになりたいの」
沙希の言葉を聞いて、俺は胸が熱くなった。彼女は、俺の依存から解放されようとしている。それは、俺にとっても、彼女にとっても、良いことなのかもしれない。
「応援するよ」
俺は、そう答えるのが精一杯だった。
それから、しばらくして、沙希は学校に来なくなった。彼女は、カウンセリングに専念するために、しばらく休学することにしたのだという。
沙希のいない教室は、以前にも増して静かになった。彼女の声も、笑顔も、もうここにはない。でも、俺の心の中には、彼女との思い出がしっかりと刻まれていた。
沙希がいなくなってから、俺は自分のことを見つめ直すようになった。なぜ、沙希の依存を受け入れてしまったのか? なぜ、彼女に依存されていたことが、嬉しかったのか?
考えていくうちに、一つの答えに辿り着いた。俺は、自分自身に自信がなかったのだ。誰かに必要とされていることで、自分の存在意義を確かめたかった。だから、沙希の依存を、無意識のうちに求めていたのだ。
自分自身の弱さに気づいた時、初めて自傷行為をしていた時の感情と向き合った。過去の俺は、ストレスをうまく解消できず、手首にカッターの刃を当てていた。自傷行為は、一時的な解放感をもたらすが、根本的な解決にはならない。むしろ、依存を深めるだけだ。
沙希が休学して数ヶ月後、彼女から手紙が届いた。手紙には、カウンセリングの成果や、将来の夢などが綴られていた。そして最後に、「湊斗くんと出会えてよかった」と書かれていた。
手紙を読み終えて、俺は深く息を吐いた。沙希は、俺の依存から解放された。そして、俺もまた、沙希の依存から解放されたのだ。俺たちは、それぞれ自分の足で歩き始めることができる。
新しい学年が始まった。教室の窓から見える景色は、あの雨上がりの日の夕焼けとは違って、鮮やかな緑色に染まっていた。俺は、新しいスタートを切る決意を胸に、教室の扉を開けた。
数年後、偶然、沙希と街で再会した。彼女は、以前よりもずっと大人っぽく、輝いて見えた。
「湊斗くん、久しぶり」
彼女の笑顔は、以前と変わらず明るかった。
「元気だった?」
俺は、少し緊張しながら尋ねた。
「うん、おかげさまで。今は、念願の保育士をしているんだ」
沙希の言葉を聞いて、俺は心から嬉しくなった。彼女は、自分の力で夢を叶えたのだ。
しばらく立ち話をした後、沙希は「またね」と言って、俺に背を向けた。彼女の背中を見送りながら、俺は、自分自身も成長できたのだと感じた。
あの雨上がりの教室で出会った少女との依存恋愛、そして自傷の記憶は、いつまでも俺の心に残るだろう。それは、痛みを伴う記憶かもしれない。でも、その痛みは、俺を成長させてくれた。過去があったからこそ、今の俺があるのだ。
夕焼けが、再び校舎を赤く染め始めた。俺は、空を見上げながら、新しい一日が始まることを願った。そして、いつか、自分自身も誰かを照らすことができる、そんな人間になりたいと思った。